さよならペンギン

さよならペンギン



三男へのクリスマスプレゼントにした。

この無茶苦茶さ、意味のなさ加減が調度よい。

何年か前にプレゼントした

がたごとがたごと 



おばけでんしゃ



に続き、意味とか論理にとらわれてない絵とストーリー。

教訓めいてなく、
ほどよく理屈にとらわれない絵本は、
何度読んでもあきない。

繰り返しに耐えられる。

がたごとがたごと、
おばけでんしゃは、

プレゼントしてから3年たつが、
いまだに、

よんでー

と持ってくる。

この世の表面的な理屈が全てじゃないってこと、
どんなことだって想像できるし、
していいってこと、伝わってるかな。






ピカピカのおもりを買った

サンタさんになに頼むの?


おもり!


という次男のリクエストで、
鉄アレイやらダンベル探した。

まだ小学一年生。

筋トレしたいらしい。

小さいうちから、あんまり筋トレはやらないほうが
いいなんて話も聞く。

自然な成長に影響するとか、
背が伸びなくなるだとか。

でもまあ、本人がやりたいっていうなら、
やらせよう。

遊びの範疇だ。

10キロとか、100キロとか、
持てるよ~って、それは無理だろ。

5キロで重さを調節できる
ピカピカしてるのがあったので、
市川の方に注文。

うちに送ってもらうと
その妙な重さの荷物で目立ちそうなので、
コンビニ受け取りにする。

しかし、コンビニからうちまで持って帰るのも大変だ。

クリスマスのかわいい包装紙に包まれた、
妙に重いプレゼント。

想像すると笑ってしまう。

サンタさんのそりのバランスが崩れそうだ。






発達障害61万人って

なにを根拠に発達障害だとしているのでしょうか?

文章の要点を読み取れないなら、
それは、文章の要点を読み取れていないわけで、
理解していない言葉がそこにはあるということです。

簡単な計算ができないのならば、
それは足し算やら引き算やら
いままでやってきた算数のどこかで、
理解していないものがあるということです。

そもそも、それを勉強する必要性が教えられていない、
なんてことはよくあることです。

支援が必要な生徒はもちろんいるでしょうが、
発達障害とレッテルを貼ることで、
状況を理解したつもりになっても、
解決には結びつかないでしょう。

発達障害ってのは、
脳の何らかの欠陥によって引き起こされる
病気だから、支援が必要って考えてるのだとしたら、
目の前のその子に何が起こっているのか、
見ていない。



親子で楽しむ学び方 LEARNING HOW TO LEARN


基礎からわかる勉強の技術


めんどくさいって考えはほっとけ

でな、やったりやらなかったりっていう方が
難しいんだよ。

やるならやる。
やらないならやらない。

やるなら、習慣になるまで毎日やる。
難しいことをやれって言うわけじゃない。

毎日歯をみがくよなあ。
大変か?

めんどくさいか?

ああ、めんどくさいなあ。
でもやらなきゃいけない。
やらなかったら、あとで後悔する。
失敗するかもしれない。
続けられなかったらどうしようって、
歯みがくときに、いちいち考えますか?

考えてないで、さっさとやんなよ。
たかだか3分ですむことを
ごちゃごちゃ考えてたら、
時間も労力も無駄。

毎日フィンランド語勉強すんのだって、
毎晩スクワットすんのだって、
歯磨きと同じレベルの習慣にしちゃえばいい。

まあ、最初のうちは、
なんで自分はフィンランド語勉強してんだ?
めんどくさい。
こんなことやってないで、
副業を始めたほうがいいんじゃないか?
また、途中でやめてしまうかもしれない。
続かなかったらどうしよう。
とかなんとかいろいろ考えがでてくるかもしれない。

別にそれはそれでいいから、
ほっとけ。
じゃなかったら、紙に書出せ。その考えを。

で、捨ててしまえ。

でてきたものはでてきたものだから、
それを否定したり抑えこむ必要はない。
ほっとけ。

で、その考えが消えてなくなるまで、
続けるんだ。





犬も歩けばがどうしたってんだ

ていうか、さっさとやってくれ。
なんでもいいから。
動いて結果が出れば、思考も変わる。

考えてばかりでは、
いまの止まっている状態がさらに強化されていくだけ。

できないんだったら、
段階を下げてできることから取り組めばいい。

確実にできるってことからはじめればいい。

テーブルの上を片付けようって決めて、
実際片付けた。
きれいになったテーブル。

それはひとつの結果だ。
決めたことができているじゃんか。

いま必要なのは、考えることじゃなくてやること、動くこと。

動けばそりゃあいろいろあるさ。

いろんなことを言ってくる人がいる。

そんなのうまくいかないとか、
なにくだらないことやってんのとか。

気にするな。

相手にするな。

それは、前に進んでるってこと。

何もしなければ、
何も言われない。

走ろうとすると、
空気が邪魔する。

スピードを上げると、
空気抵抗が増える。

ただ単に位置を変えるために前に進む場合だって、
空気が止めようとする。

だからっつって、
空気が止めようとするからって、
止まらないよなあ。

動けば必ず止めようとするものがでてくる。

気にするな。

進み続けよう。







危険なドラッグに手を出してしまう理由

生きていく上で最も大切なもの。

自分で見て、聞いて、知覚して、自分で考えられる能力。

薬物、ドラッグは、その一番大事なものを、破壊する。

危険なドラッグに手を出してしまうのは、無知が原因。

だから、それがなにで、どんな影響を引き起こすのか、事実を伝えていけばいい。
そんな活動をフランスで長年続けている方の話を聞いた。

フランスのマルセイユ、港町で有名だか、薬物の蔓延が問題になっていた。
警察も、売人の元締めどグルになっていて、頼りにならないというか、
妨害されるところからスタート。

20年間なかったこと、フランスにおける十代のマリファナ使用率が25%下がった。
この一人の人物からはじまる活動、
薬物に対する無知をなくすための長年に渡る活動が結果を出している。


ミッキーって何人いるの?ってそれはおかしい

ディズニーランドの中にミッキーって何人いるの?


ええ?
なんだって?
質問の意味がよくわからないんだけど。

何人って、おかしいだろ。
別に、おれはランドとかミッキーに思い入れは
まったくないんだけど、
その質問はちょっとひくわ。

村田拓っていう人が
何人いるのかって聞いてるのと同じなんだよ。

おれはおれだし、
ミッキーはミッキーなんだよ。

ミッキーが何人もいるわけがないだろ!

どの面下げて、ディズニーランド大好き!
ミッキー大好き!!
って言ってるんだ。

好きだったらなあ、
子供の前で、そんな質問するんじゃない。

ディズニーランド好きなら、
ディズニーランド好きとしての
責任っていうものがある。

知るべきことは知っといて欲しい。






別にラーメンが好きな訳じゃなく

わたしは、別に、ラーメンが好きなわけではなく、
とんかつが好きなわけでもない。

好きなのは、
介一家のラーメン油多め。
ふく屋のロースカツ定食。
キャベツ、ご飯おかわり自由。
昔から変わらない味と肉厚。

あなたは、別にスマホが欲しかったわけではなく、
iphoneが欲しかったんだよねえ。

スタバで、ノートパソコンじゃなくて、
Mac Book Airを使ってるのがステキなわけだ。。
ウルトラブックじゃダメ。

あとなあ、女が好きな訳じゃなくて
ゆみこが好きなんじゃねえのかい。






 iTunes Store(Japan)


じゃあ、脳を使っているのは何か?

脳にちゃんと血液が回って、
酸素が行き渡ってと、
モノとして、きちんと機能するように、
ある程度の配慮をする必要はある。

ただ、その脳を使っているのは何か?

脳はコンピュータに例えられる。
コンピュータは、計算する。
コンピュータがそれ自体で勝手に計算を始めることはない。

何が、誰が、コンピュータを使っているのか?

誰が、計算のためにデータを入力するのか、
そこから何らかの答えを引き出そうとしているのは、
何か?

脳を、身体を使っているのは、
あなただ。

脳があなたなのではない。

脳は脳だ。

一冊の本。
これは、モノとしては、紙の束で、
一枚一枚のページには、
字が印刷してある。

人間を研究するのに、脳を一生懸命調べるってのは、
本をインクの色だとか、紙質だとか、
ページの量だとかだけを見ているっていうこと。

本において、肝心なのは、そこに書いてある内容。
モノとしての本にどれだけ着目したところで、
その本の内容を知ることはできない。




 iTunes Store(Japan)


翻訳は日本語力が半分以上

うう、翻訳となると、
英語が分かるのは当然だとして、
日本語が問われる。

文法的に正しく訳せる。
でも、それだけじゃあ日本語にはなってない。

訳したのを見ると、
そんな日本語を使う奴はいねえよというような文章。

英文から受け取れる概念。

その概念をどう日本語で表すか?

いままで、自分が訳文を読んだ時に、
これ日本語になってねえよ。
こんな言い方するやつはいねえ。
などと、あれこれ言って来たが、
その言葉が全部自分に降り掛かってくる。

よい日本語の訓練になることは確か。




親子で楽しむ学び方 LEARNING HOW TO LEARN


基礎からわかる勉強の技術



エイが泳ぐ岸壁

平和島から大和大橋を渡った先にある公園で、
京浜運河を眺めながらの昼飯のあと、水際を歩く。

なんの前触れもなく、
ランダムに魚が水面からジャンプする。

いつだったか、橋の上から、ジャンプする魚が見えた、
その水面下には黒い塊のように見える大量の魚の群。

1匹ジャンプしてるってことは、
そのまわりには大量に魚がいるってことらしい。

岸壁の端を歩くと、
カシャカシャ動き出して、
穴に引っ込んでいくカニ。

エイがいた。

水族館ではよく見るが、
野生のエイははじめてみた。

東京湾って実はきれいなんじゃないのか?

エイがいた










マギーブイヨンじゃしかたない

  なんだその偉そうな態度は?
  今日は一日中、ごろごろしてなんもやってないだろ。
  お手伝いとか、うちのこと。

  そんなんで、デザートは?

  って言ったってなあ、でてこないぞ。


息子をしかっていました。
したら、ママが


  そうだよ。
  あとね。もうひどいの。

  マギーブイヨン、ひとかけ食べて、
  ゴミ箱に捨ててんのよ。

  もう信じらんない。


聞いてみました。


  うまかったか?


  まずかった。


まあ、マギーブイヨンは仕方ない。
誰でも成長の過程で一度は通る道なのではないか?

おかしっぽい四角い包み。
見た感じおいしそう。

私も小さいときこっそりかじって、
母におこられた。











「勉強」ってなんですか?

「勉強」ってなんですか?

  覚えることです。
  おばあちゃんがそう言ってました。

ある中学生。

まあ、覚えることも必要なんだけど、
それが勉強のすべてではありません。

テスト勉強ばっかりやってると、
覚えることが勉強ってことになってしまうのも、
よくわかります。

じゃあ、「勉強」って何でしょう?

何かを知って、実際にできるようになること。
なにかのやり方を知ってできるようになること。

いろんなこと知っているだけでは、
役に立ちません。




親子で楽しむ学び方 LEARNING HOW TO LEARN


基礎からわかる勉強の技術


ADHDってただのレッテル

多動って、子どもがたくさん動くのは当たり前。
それを病気扱いするのは、
誰がなにを目的にしてやっているのか、
よくよく見てみたほうがいい。

人を病気扱いできると、だれが得をするのか?

少なくとも20年前はそんな言葉なかっただろう。
それが、なんで今になってこんなに普及しているのか、

それで、悩んでいるお母さまがた、
診断が下されることを恐れるお母さまがこんなにも増えているのか?

1歳半健診で、多動だとか、ADHDとかなんとか障碍だとか、
アホか。

なんて余裕がないんだ。

医者だから、権威があるからって、
その言葉をうのみにするべきではない。

病気にできれば、薬が売れる。

オランダでは、子どもに対する、ADHDのレッテル貼りは、
非合法になったそうだ。

それも子どもに対する薬漬けが大問題になったからだ。
1歳とか、2歳とかのこどもに
精神薬を与える方が狂ってるだろ。
そんな当たり前のことに気づけよ。
騙されてるんじゃない。










眠いからってやめてしまったら、それで終わり

眠い。

だからって、毎日やると決めたこと、
今日はいいやとか、
明日またやればいいやとか、
思ってやめてしまうのが、失敗の元。

なにが大事かって、
継続すること。

なにが起ころうと、
決めたことを続けてやる。

実際に身体を動かして、
決めたことをやる。

別に、無理なこと難しいことを
続けなきゃいけないわけじゃない。

簡単なこと。

例えば、トイレ掃除。
それを毎日5分やる。

別に難しいことじゃない。
5分の時間がとれないなんてことも
ないだろう。

やろうと思えばできること。

毎日続けようと決める。

で、これを100日続けられたら、
それは自信になるだろう。

いろんなことに気づくきっかけになるだろう。

続けられたら、
さらにできることを増やしていける。

よい循環がうまれる。

継続は力なりって、
ホントだわ。








失敗しようが、文句を言われようが、 やった人の方が、何億倍も偉い

考えてねえで、やるんだよ。

その情報を知っているだけじゃあ、
意味が無い。

やらない、実践しないんだったら、
知識に対して責任をとっていないことになる。

ただ知らないってことよりも、
たちが悪い。

必要なのは、実際やってみるってこと。
実践すること。

やらないで、考えていてもしょうがない。

批判はやってみてからにしてくれ。

本を読んでばっかりいないで、
いすに座って勉強ばかりしてないで、
現場で試してみるんだ。

やってみて、経験してはじめて、
本当の意味で知っていると言える。

やらないでごちゃごちゃ言ってる人よりも、
失敗しようが、文句を言われようが、
実際にやっている人の方が、何億倍も偉い。










ながら勉強はダメ

宿題をテレビ見ながらやるとか、ダメです。

もし、出された宿題で漢字を覚えるとか、
計算練習とか、
まあ何度も繰り返す練習をしていて、
指定された量をやってしまわないといけない。

で、見たい番組があるとか、
退屈さを紛らわせるために、
音楽を聞きながらやるとか、
そうして一度に2つのことができて良いように思えたりします。

でも、実際はどちらも中途半端。

漢字練習だったら、書く作業はできたのかもしれませんが、
ノートのページは埋まったのかもしれませんが、
そもそも何が目的なのか?

その漢字を書けるようにすることが目的であって、
ページを埋めること自体が目的ではありません。

テレビ見ながらでは、ページを埋められたとしても、
書けるようにするという訓練はほとんどできていません。

わたしも、学生の頃はウォークマンで音楽を聞きながら勉強してました。
今思えば、それは音楽を聞きながらでもできてしまう程度のことをしていただけ。

もし、その時やっていたなにかの勉強だけに集中していたら、
かける時間は半分以下になっていたはずです。









根拠なく思い込めるのが強み

絶対できるようになる。
絶対大丈夫。

絶対わかる。


私の、目の前の人に対する思い込み。

根拠はない。

でも、自分の前に座っている人は、
絶対に、わかるようになるのだ。

これがベースにあるので、
わたしは、理解をもたらすことができる。


すーがくができない。

えーごがわからない。

これがわからない。
何がわからないかもわからない。


いろんな問題を持ち込まれる。
でも、一つ一つ解きほぐしていって、
わからない単語、誤解している単語を潰していく。

それで、


なんだそういうことだったのか。

わかった!


となるまで持っていく。

わたしは、これができる。
でも、他の人は、自分ほどうまくできない場合があるのが不思議だった。

目の前の人物に対して、相手のために100%の思い込みができるかどうか?

それが違いだったようだ。









英語だろうが日本語だろうが、 必要なこと

英語世界では、私は小学生レベル以下の読み書き能力。

周りに、日常的に英語を話す人がいたわけでもない。

英語を書く、話すことについては必要性がなかった。

だから、辞書を引き引き読むことはできるけど、
書くとか話すとかっていう訓練をしていない。

しかし、何の因果か、翻訳をすることになって、
英語ネイティブの方に手助けしてもらう機会をもらった。

その女性、日本語を話すわけではない。だから会話は英語。

翻訳する文献で、難しくなって止まっていた。
それで、声をかけていただいた。

気にかけてくれたのは、ありがたいんだけど、
英語で解説されてはたしてわかるようになるものか?

という疑問があったが、
必要なかった。


わかるようにわかるまで説明してくれた。
英語で。

とてもよくわかった。

わたしがいつも生徒さんに対してやっていたこと、
昨日は、私が生徒の立場になって逆にやってもらった。

まず必要なのは、相手に理解をもたらそうという意図。
それは、英語だろうが日本語だろうが、
変わらない。

改めて、気づかせてもらった。










長い間ひどい状態だと、自分がひどい状態にいることがわからない

ここ数日、だいぶ冷えるようになってきたのもあってか、
エンジンかけてもすぐ止まるようになってしまった。

それで先週末、行きつけのバイク屋さんに修理に出した。

修理が終わったと連絡をもらい、取りに行く。

夜、9時過ぎだというのに、店が開いているのがありがたい。

なおったスクーターに乗ってみると、あれ?!すんごい快適。

最近ずっとキックしてエンジンスタートさせてたが、
その必要はなくボタンを押せば一発でエンジンがかかる。

アクセル回すとスムーズに回転が上がっていく。

調子が良くなって、はじめて、あちこち調子が悪かったことに気がついた。

調子が悪いのが普通の状態になってしまっていて、
それが本調子でないということがわからなかった。

ずっとひどい状態にいると、
その状態があたりまえになってしまう。

毎度毎度、何度もキックしてエンジンをかけていたが、
それについてなんとも思わず、それが当たり前になっていた。

それはどこかがおかしかったのだ。

本当に動かなくなってしまって、はじめて、修理に出した。

本来はどういう状態で、どのように機能するものなのか、
正常な状態はどういう状態なのか?

わかっていれば、もっと早く修理に出していただろう。

でもまあ、今回のことで違いがよくわかったので、
今度調子が悪くなったら気がつくはずだ。


勉強でも同じことが言える。

苦痛を感じながら、
いやいや勉強を何年も続けていると、
苦痛なのが勉強だと
勉強とはそういうものなのだと考えてしまうかもしれない。

わたしも学生の頃はそう考えていた。

勉強は、この眠気やら苦痛に耐えて一生懸命やる必要があるのだ。
とがんばろうとするが、結局眠気には勝てない。

でも本当は苦痛とか眠気に耐える必要はない。
苦痛を感じている時点で、何かがおかしいのだ。

必要なのは、耐えることではなく、
その原因を見つけ取り除くこと。

スムーズに勉強を進めて、どんどん加速していく気持ちよさを
ぜひぜひ多くの人に味わって欲しい。





親子で楽しむ学び方 LEARNING HOW TO LEARN


基礎からわかる勉強の技術


いいとこ行っても、勉強嫌いになったら元も子もない

泣きながら、
ほっぺたつねりながら
目薬差しながら、
死にそうになりながら
勉強を続けた。

勉強といっても、
ひたすら単語やら、
解法やらを暗記する作業。

勉強が苦痛で仕方がない。

学校を卒業して社会人になって、
もう勉強しなくていい。

助かった~

と解放感を味わった
という人。

かわいそすぎる。

勉強して得た知識やらなにやらより、
勉強ができる
学んでいくことができる
ってこと自体の方が、
よっぽど必要なこと、大事なこと。

長い間、無理矢理な勉強をして、結局、
勉強できない身体になってしまった。

だとしたら、これからどうやって生きていくっていうんだ。


なにかをできるようにするために、
新しいやり方を学んで、
さらにもっと何かができるようする。
それが勉強。

重要なのは、試験に受かって、
合格したり、資格を取ったりする事ではなく、
勉強したことを実際にできるのかどうか?
仕事に生活に、役立たせることができるかどうか?

だ。

ただ、実際問題これを中学生、高校生に、
伝えるのは難しかったりする。

彼らが今、必要としていることは、
テストの結果であり、
学校の成績。

それだから、苦痛をこらえて、
勉強を続けてしまうなんてことが、
起こってしまう。

で、学校での勉強は、
生活や仕事で役に立たせるという目的で
カリキュラムが作られていない。

勉強することはたくさんあるが、
それをなににどう使うのか?

なんてことは、教えられない。

しかしまあ、現時点において、
カリキュラムのことをあれこれ言っても仕方がない。

せめて勉強ってどうやって進めると
苦痛を感じることなく、
スムーズにだんだんスピードをあげていけるように
やっていけるのか?

を伝えて、練習させて実践を繰り返させる。

そうした勉強のやり方が身に付いたら、
学校をでてからも、
勉強を続けて、新しいやり方を身につけ、
実践し、いろいろあるだろうけど、
自分の道を切り開いていくことができる。




親子で楽しむ学び方 LEARNING HOW TO LEARN


基礎からわかる勉強の技術


なになにが嫌いだなんて、別に理由にならん

仕事の上で、好きだからとかいうのは、
そんなに重要なことじゃねえよ。

でも、嫌いってのも、もっと理由にならんぞ。
あの人が、とか、この仕事、この科目、などなど
嫌いだからやらないって、
それはあくまで自分の都合だからな。

自分がやりたいことと、
人が求めていることが一致していたら、
それは幸せかもしれないが、
順序から行って、
自分がやりたいことやるには、
まずは、人が求めているものを提供する方が先だ。

嫌いだからとかいう、
自分の都合で、そうしないんだったら、
いつまでたっても、嫌いといって
それを、その人を、その科目を、その仕事を
などなどを
避け続ける人生。

せまいせまい領域からでることも、
広げることもなく、
同じことを繰り返し続けることになる。

そんな人生をぶちこわすために、
これを見るべし。








いいから、大丈夫だから、さっさとバイトでもなんでもしろ

  自分はどうすべきか?

  勉強に集中した方がいいのか?
  なんか働きながらでも、やった方がいいのか?

浪人生からよく聞かれる質問。

とにかく、バイトしろ。

別に浪人生に限らず、高校生だろうと、
もしできる環境にあるのであれば、
働くことをすすめる。

他の人達と協力してなにかを生産する、
仕事をするっていう経験。
生きていく上で必要なこと。

学校では教わらない。
勉強ばかりしていて、
勉強できるようになったとしても、
それがなかったら、社会の中で動けない。

今の教育の仕組みの中で、
勉強できて優秀だということになったとしても、
それは、その仕組みの中でだけの話で、
そもそも、目的やら仕組みが全く違う実際の社会の中でも、優秀かどうかは、また別の話。









英語を英語として学ぶことで、自分が使い続けてしみついている日本語がどうなっているのかがわかる

そこには違う世界がある。

日本語世界にどっぷりはまっていると、
はまっていることに気がつけない。

で、いくら英語を勉強していても、一生懸命訳して日本語に置き換えて、という作業を延々と続けている限り、
日本語世界から抜け出すことはできない。

なにがおもしろいかって、しっかりと身に付いてしまって、毎日毎日話して、聞いて、読んで書いている自分の言葉、日本語。
それが何でどんなものなのか?
英語と比べると、ほんの短い文章で、ものすごい量の意味をこめることができるとか、
逆に意味が多すぎて、英語ならYouひとつですむことも、
日本語だったら、省略したり、おまえ、あなた、貴様やらさらには、関西系だったら自分・・・といってyouをさしてしまう。

日本語は時と場合によって、使い分けが必要。
なんてややこしいことをしているんだ。
何のためにそんなことをしているのだ?

と気がついて考えることができる。

英語の側から日本語を見てみると、違いが浮かび上がってくる。








計算することが数学なのではない

パスがうまくなるようにと、ひたすらパス練習だけさせて、サッカーというゲームの存在を知らなかったら、どうなるでしょうか?

ボールを蹴って相手に渡す。
それだけで、まあ少しは楽しめるかもしれませんが、何のためにこれやってるんだ?
と疑問が浮かんでくるのではないでしょうか?

こんなことやっていても、役にたたない。
人生で、生活で仕事で、ボールを蹴ってあいてに渡す必要性なんかない。

こんなこといくらうまくなっても、役に立たない。

などなど。

まず、サッカーというゲームがあって、チームで協力して点をとって、点をとられるのを防いで、試合で勝ったり負けたりする。

それが面白いんですよね。

その面白さがあるから、もっと上手にプレーできるようになりたいと思って、パス練習といった地道な練習ができるようになるわけです。

中学や高校での数学、
生活や仕事で二次方程式使いませんよ、
こんな計算練習して何の役に立つんですかって、
そりゃ疑問に思うのはもっともです。

そもそも、それが何のためのものなのか、教えられたことがありません。

わたしも、数学を教えたりするくせして、
因数分解ができたからなんなんだって、
よくわかっていませんでした。

数学では、いろんな計算をします。
で、これがなんにつながるのか?
こんなこと勉強していったい何の役に立つのか?
というお決まりの疑問を持ちます。

私は、数学ができないわけではないし、
今だったら教えることもできます。
できるようにうまく導いていくこともできます。
実際、テストで7点などという、適当にやっても、
その点数はないだろという点をとっていた生徒さんが、
80点とるようになったりしています。

でもだからなんなのだ。
この「数学」ってのは、実際問題生活でも仕事でも使わないし、
何の役に立つんだ?

という疑問をずっと持ち続けていました。

そこで、辞書で「数学」の定義を調べてみました。

量と形を扱う学問
とあります。

計算については、一言も書いてありません。

あれ、そうだったの?

数学って、計算することじゃなかったのかよ?

おいおい、最初っからそう教えてくれよ。

という気分。

学校での数学の行き着く先の一つが、微積分。
これで、変化する量を扱うことができるようになります。

これに到達するために、そこまでやってきた計算やらなにやらが必要でした。

微積分に到達させるために、それまでの課程が用意されていたようです。

数学におけるサッカーの試合に当たる部分が、
もう少しで見えそう。

もしそれが見えたら、人にそれを伝えることで、
その勉強がもっと意味のあるものにできるような予感。








議論に勝ってもしょうがない

おまえは間違っていると言われる。
議論になって負かされる。

お母さんとか、
学校でクラスメイトから受ける仕打ち。

うざったいんすよ。

とある高校生がぐちをこぼしていました。

負かされたら気分が悪いのは、
よくわかります。

でも、議論に勝ってしまったら、
ちょっと、うれしいかもしれませんが、
ちょっと、優越感にひたれるのかもしれませんが、
それがなんになるんでしょう。

そもそもなにがしたいのか?

社会にでて、仕事をしてみないと
学生のままではわからないことがあります。

生きていくために、
給料とか、なにかの報酬を受け取るために、
なにかを生産し提供する必要があります。

誰かが必要としていること、
それを提供することで、
自分に必要なものが交換として手に入ります。

その生産物を提供する誰かは、
お客さんかもしれないし、
上司や同僚かもしれません。

新聞のセールスマン、社会人がなぜ新聞を読む必要があるのか、説得しようとします。
おっしゃることは正しいし、まったくその通り。

でも、説得されたら、負けたような気分になります。
それじゃあ、お金を払う気にはなれません。
少なくとも私は。

議論に勝つことは、あんまし、社会にでて、
仕事をする上で役にたちません。

それよりも、その議論をふっかけてくる誰かさんを、
いい気分にさせて、何かを買ってもらうには、
どうしたらいいか?
を考えてやってみるのが、
これから生きていく上でものすごく役に立つよーん。

それには、議論に勝ってしまったらアウトだな。







空飛ぶペンギン

ジムキャリー主演の「空飛ぶペンギン」
うちの三男はなぜだか、ペンギンの仲間ということになっている。
それで、ペンギン話には、食いつきが良さそうな気がしたので、
借りてきた。

話の内容にはほとんどついていってなかったが、
ペンギンたちのやることなすことに子どもたちは大笑い。

ペンギン、CGなんだろうけど、
動きに全然違和感がなくって、
ジムキャリーの動きに合っている。

ものすごくレベルの高い技術を
子どもたちを笑わすために使えるのっていいなあ。



空とぶペンギン