体罰で思考停止

生徒を、教え子を殴る、蹴る。
それは何が目的なのか?

私が中学生の時の
生活指導の体育教師。

教室の前に連れ出された一人の生徒。

 なんで、おれがこうするかわかるか。
 言ってもわからないんだったら、
 こうするしかないよなあ。

と話しながら、生徒を殴る。

 おまえたちのためなんだよ。

また殴る。


黒板の前で殴られている生徒を見せつけられて、
目をつけられたら、自分も殴られる可能性がある。

沿う感じさせられて、
授業中だろうと、なんだろうといつもうるさい教室は、
静まり返る。

殴って痛みを与える。

それでおとなしくさせて、
黙って言うことをきかせる。

そのためだったら、体罰は有効だろう。

でも、力のある人とか立場が上の人の言うことを、
ただ黙って聞いて従うだけの人が、
いまの何が起こるかわからない世の中で
人生を切り開いていけるとは思えない。

従順な人を育てるのが目的の教育には、
私は関わりたくない。




これを書いてて、思い出した。

別の時、その体育教師が、
空き教室にある生徒を連れて行き殴ったり蹴ったりしている。

当時の私の担任は、理科の先生で、
身体は大きかったが、
体罰をふるうタイプじゃなかった。

で、体育教師が入っていった空き教室に、
後から入っていって、後ろからじっと見ていた。

いま思えば、担任も戦っていたんだろう。

悪いことばかりではなかったんだと、
今気づいた。






雪合戦は必須科目なんじゃないのか?

雪の降った翌日、横浜のはじっこに住んでいたわたしは、
小学校では、授業を一時間潰して、
グラウンドで遊ばせてもらったもんだ。

それで、先生も交えて雪合戦をした。

茨城で育った妻も、当然、小学校では、
同じように雪合戦をしたそうだ。

だから、昨日は、息子たち、
学校でやってくるものとばかり思っていたら、
なんか、不満そうな顔の二人。

ドロドロになるからと言われてやらせてもらえなかった。
グラウンドで遊ばせてもらえなかった。

え?

雪が積もったら、
雪合戦は必須だよなあ。

雪に触れられて遊べる機会なんて、
年に1、2回あるかないか。

ましてや、昨日は東京では何年かぶりの大雪。
たっぷり積もっている。

この状況は、子どもの時に
身体で体験しておくべきなのではないか。

教室での勉強より、
そっちの方が重要だろ。

まあ、当然子どもにケガさせてしまったり、
服を汚してしまったりといったリスクがあるわけで、
管理者としては、親からクレームつけられる可能性などなど
考えたらできないってことなんだろう。


つまらん。


三男は保育園で雪合戦してきたとのこと。

よかった。

まあ、保育園だったら、
雪合戦やらの雪遊びさせなかったら、
逆にそれでクレームがつきそう。





息子は大喜び。東京で積雪8cm。

東京で大雪
東京で大雪


窓の外を見ると、
真っ白くなってる世界。

すぐ外にかけ出して、
さっそく雪だるま制作にとりかかる息子たち。

いま、目の前に起きていることを、
あと先考えずにとにかく動いている。

明日は、自転車乗れないなあ。
仕事に歩いて行かないとなあ。
なんて、明日のことを考えて
めんどくさがってる私は、
今を全力で生きている彼らを
みならうべきだ。





269 ぜったいできる

頭がわるいとか、
才能がないとか、
親の遺伝だとか、
病気だとか、
脳に欠陥があるとか、
できない理由を考えようと思えば、
いくらでも考えられます。

でも結局それはやらない言い訳だ。

などという話をしたところで、
意地でも、自分はできない才能がないから勉強は無理だ
と言ってくる生徒さん。

話し合いをしても時間の無駄。

数学の成績がひどいので何とかしたいとのことなので、
段階を下げて、以前できていたというところから、
順番に練習させていきます。

意味があやふやだったり、
知らない用語は、理解できるように手伝います。

何か問題が解ける度に、

できてるじゃんか!!

などと声をかけます。

こう言われて、
悪い気がする人はいません。

本人ができないと思い込んでいる場合、
周りからダメだダメだできないできない
と繰り返し言われ続けて、
そう思い込んでしまっている場合がほとんど。

最初は、些細だったり簡単なことでいいので、
自分はできるってことに自分で気がつくよう仕向けます。

それができたら、できることの量や質を
少しづつ増やしていきます。

一人一人の様子を見つつ、
引っ張りあげていく作業で、
手間がかかります。

でも、最後には自分で勉強を進められるようになるんです。


なにか、結果を出さなくてはいけない状況で、
病気だとか
脳に問題があるとか、
才能がないとか、
理由を考えてもどこにも行き着きません。




親子で楽しむ学び方 LEARNING HOW TO LEARN


基礎からわかる勉強の技術


ジャンケンブルドックで学ぶ勝負事に向かう姿勢

電車の中で、息子たちが退屈して、
気がつくとパンチの応酬が始まっている。
注意をそらすために、ジャンケンブルドックをやろうと提案。

始めたはいいのだが、
ジャンケンストレート三回負けで、
私はたてたてよこよこまるかいてちょんと、
ほっぺたを引っ張られるはめに。

おかしい。

ジャンケン三連敗などという事態は、
父として許されるべきではない。

父として、私は息子が乗り越えていくべき存在なのだ。
それが、乗り越えるも何も、
こんなにあっさり負けて良いわけがない。

本気出してやる。

2回連続負けのあと、
しばらく勝ったり負けたりが続き、
片ほっぺたつねられたりつねったり。

最後には、私が息子のほっぺたを
たてたてよこよこまるかいてちょん。

勝負事はなんだろうと、
勝ちたいんだったら、
勝つという気持ちが必要だ。

それは、ジャンケンでも例外ではない。

あけましておめでとうございます。

今年もよろしくおねがいします。