笑ったら怒鳴られた。ラジオ出演しました。

人生初体験のラジオ出演。
実際の生放送での電話インタビュー。
とても有意義な初体験だった。

NACK5 夕焼けshuttle 押さえドコ!

ラジオで話したこと。
誤解語とは完全には理解していない言葉のこと。
よく聞くから知っているつもりだけど、
実はあやふやだったり、とにかく完全には理解していない言葉のこと。

で、肝心なことは誤解語があると行動できないってこと。

パーソナリティの黒田さんが、
してくださった話。


入りたての劇団員だったときに、

 笑っといて

と監督に言われて、え?と思ったが、
ニヤッとしたら、

 なに笑ってんだ〜!!

と怒鳴られた。
笑うってのは演劇用語で


【笑う】(わらう)人がよけたり、物をどかすこと。

という意味だった。
先に教えてくれよ〜


このように、言葉の意味を理解していないと、
行動がおかしなことになる。できなくなる。
それが一番肝心な伝えたかったこと。

黒田さんは「親子で楽しむ学び方」を読んで、よく理解し、
自分の体験に基づくわかりやすい例を話してくださった。




親子で楽しむ学び方 LEARNING HOW TO LEARN

シャチ好きだから水族館で働きたいという息子に伝えるべきこと

好きなものがあるってことはいいことだ。
何かを好きになれるってのはそれ自体で才能。

好きになって興味を持ったなら、
もっともっと見たり、読んだり聞いたりして、
いろんなことを知ってくれ。

将来、水族館で働きたいっていうのなら、
どうしたらいいか?
今から何ができるか?

他の人に、シャチに興味を持ったり、
好きになってもらうには、
どうしたらいいか?
何をしたらいいか?

を考える。
で、実際やってみる。

それで、他の人が、シャチに興味を持ったり持たなかったりするだろう。
その結果をふまえて、
なんで、その人は興味を持ってくれたのか?
興味を持ってくれなかったのか?
を見つけ出す。

そして、見つけ出したことをふまえて、
人にシャチに興味を持ってもらうために、
また何かやってみる。

まあ、一番初めは、まず自分。
自分がどうしてシャチが好きなのか、
どうやって好きになったのか、考えて言葉にしてみる。

それが最初の一歩。
そこから

シャチに興味を持ったら、
水族館に行きたくなるだろ。

水族館に来た人が払った入場料などのお金で、
魚や動物達の餌を買ったり、
水を用意したり
そこで働く人のお給料を払ったりして、
水族館が運営できる。

だから水族館は人に来てもらう必要がある。
ただ、魚を飼っているだけではない。

どうやってそれを実現するか?

を考えて実際にやってみることが、
仕事につながっていく。






マラソンの順位よりも肝心なこと

IMG_0650マラソン大会に出場した息子達。


入賞する!

とか言ってたが、結果は真ん中辺り。
がんばって走りました。

でも、上位の人達とはかなりの差。

表彰台には登るつもりだったらしいが、
まったく箸にも棒にもかからない。

当たり前だ。

上位の人達は、日々努力してるんだ。
君たちは、最近になって走ったりしてたが、
彼らはもっと前から毎日毎日目標に向かって努力してるんだ。

そんな人達に勝てるわけがないだろう。

もし仮にだ、
たまたま勝てたとしても、
毎日目標に向けて努力できる人にはいずれ抜かされる。

目標をもつのはいいことだ。

肝心なのは、その目標を達成するために、
毎日毎日地道な努力を継続できるってこと。

今回の結果をふまえて、どうするんだ?


272 誤解語で妄想

息子達に連れて行かされる、

板橋区立熱帯植物館。



温室の中に再現されたジャングルを歩いていたら、

ある鉢植えに「アアソウカイ」と表示してありました。


アアソウカイ




ああそうかいそうかい、

今まで育ててやった恩を忘れて、

独立するっていうのかい。



と世話になっていた印刷会社の社長に呆れられている







という状況の妄想が

頭の中を勝手にかけめぐります。





その植物の名前、うちに帰ってから検索して調べてみたところ、

ちゃんと意味があったことがわかりました。



アアソウカイは、亜阿相界と書き、

亜細亜(アジア)と阿弗利加(アフリカ)の境界であるマダガスカル島が、

このアアソウカイの原産地であることから名付けられたとのこと。



その意味と由来を知ることで、

わけのわからない妄想もどこかに消えていったのでした。



何かを勉強したり、本を読んでいるときも、

気がついたら妄想にふけっていたなら、

理解しないで、勝手に意味を作り上げている言葉があるかもしれませんね。






親子で楽しむ学び方 LEARNING HOW TO LEARN

実際にやってみないと間違ってることさえ分からない

英語の勉強で最初に習うようなこと。
あいさつ。

How are you?

Fine thank you, and you?

初歩の教科書には必ず書いてある。
でも実際アメリカに行ったときに
売店とか、スタバとか、
レストランで店員さんに尋ねられたのは、

How is it going?

やら

How are you doing?

あれ、How are you? じゃないんだ。

聞かれてたどたどしく、

Fine thank you and you?

と言ってみるが、なんか苦笑いされて、

Good.

と返ってきた。
なんか妙な感じ。
そういうことが何度かあって、
どうも私は変なことを言っているらしいと気付かされた。

では、他の人は実際なんて答えているのか?

あ、そうだ、わたしが聞いちゃえばいいんだ。

というわけで、会う人会う人に

How are you doing?

って聞いてみたら、

So so.
まあまあ

Good.
いいよ

Pretty good.
まあ、いいよ

not so bad.
そんなにわるくはない。

I’m tired. 
疲れてる。
昨日は夜、車の音がうるさくて目が覚めちゃって、眠いの。

などなど、人それぞれ。
またその時のその人の状況で、いろんな答えが返ってきた。

型通りのことを口にすればいいって訳ではなく、
そこには、人対人のやりとりがあったことに気づかされた。

これは、実際に英語が使われている現場で、
学んだ英語を使ってみて理解できたこと。








親子で楽しむ学び方 LEARNING HOW TO LEARN


方程式なんて必要ないから。使わないし。

数学なんて使わないから!と主張する女性。

中学生の頃、別に方程式使わなくても解けるのになんで方程式使わなくちゃいけないのかって
質問したらうるさがれた。
いいからだまってやれ。
ごちゃごちゃいわずにやればいいんだ。
そんなことを聞いてくるやつは他にはいない。
とか言われて結局先生は質問に答えてはくれなかった。

それで何で方程式使わなくちゃいけないのかは分からないまま。そこで数学は勉強する必要ないって思った。



そんなことがあれば興味を失うのは当然。
学校の勉強には目的がぬけ落ちている。それで、本来のその科目や知識自体の目的ではなく、テストの点数だったり、その延長線上にあるよい学校にはいるという目的で代用する。

生徒の段階によっては、だまってやれ、いいからやれ。
ととにかくやらせることが必要な場合もある。

でも彼女はそういった段階ではない。
彼女は興味を持って、理解しようという意図を持っている。だから、それはなぜなのか?は説明すれば理解できるだけの頭はあるのだ。

しかし、そもそも教える側が、その教えていること自体なぜそれが必要なのか、やる必要があるのか目的を持たせることをしないし、できない。

その代わりにテストの点数を上げよい成績をとるという目的でごまかす。

方程式には目的があるのだ。
それを使うことによって、
様々に違って見える事柄が、方程式を使うことで、共通の形をしていることが分かり、答えを出すのがより簡単になる

それを、彼女が興味があったり好きな分野にからめて、説明してあげられたらよかったのに。





親子で楽しむ学び方 LEARNING HOW TO LEARN


基礎からわかる勉強の技術



身体をうごかすものは(  )と(  )

身体をうごかすものは(  )と(  )
って、何が入るの?

筋肉と関節?

小学生の息子からの質問。
理科の宿題をやっているらしい。

ああ、それはな、気合と根性だろ。

思わず吹き出す息子。

いやいやいや、そこ笑うとこじゃない。
べつにふざけているわけじゃないぞ。

おまえも武道をやってるなら、
もうこれ以上身体が動かないどうしようってとき、
どうやって身体動かす?

気合と根性しかないだろ。

と、納得させた後で、
でもな、学校とかテストでは、
先生が聞きたい答えを言う必要があるんだからな。
わかってると思うけど。

と矛盾してるようなことを言ってみる。

そこで腹を立てずに爆笑できる息子はなかなか理解している。

発達障害もADHDもそもそもがインチキだ。「大笑い!精神医学」

ここまで完全に100%精神医学を否定している本は
はじめてかもしれない。

当然、「発達障害」「ADHD」についても、
インチキだと書いてくれている。

10年前はこんな「発達障害」や「ADHD」なんて病名はなかったはずだ。
少なくとも、私は聞いたことがなかった。
それがいつのまにかどんどん広まって
誰もが知っている病名になってしまった。

勉強ができないのは、
落ち着きが無いのは、
椅子に座っていられないのは、
病気で、脳に異常があると考えられるから、
医学的な処置が必要だと、
専門家が言っている。

病気だからいくら
教育で対処しようとしても、
ムリだ。

などなど。

ただ、その専門家なる人物は、何が目的で
そんなことを言っているのか?
人を病気扱いしようとするのか?

そこをよく見る必要がある。


いつだったか、もう何年も前だが、
某有名私立中高一貫校の先生方に
呼んでいただいたことがある。

落ちこぼれてしまった生徒を
どうしたらいいのか困っている。
なにか解決法はないか?

話を聞きたいとのことだった。

もうすぐ高校卒業だというのに、
まったく漢字が書けない。
数学が中学レベルからできてない。
文章がまったく書けない。
勉強に手がつかなくて留年しそうなんだけど、
何とかしようとする気もまったくない。
話をしようとしても、返事がほとんど返ってこない。

などなど。

外からみたら、そこは本当にトップクラスの学校で、
中学受験を勝ち抜いて入るような学校。

そもそも、なんでそんな生徒が
そこに入れたのかが疑問でもある。

とにかく小学校の早い段階から、
意味もわからずひたすら量をこなさせたりする
中学受験対策の弊害がでてきてしまったのを感じた。

先生方は、なんとかしたいという意図があって、
私を呼んでいただいたわけで、
その点は素晴らしい。

ただ、そこで言われたのが、
村田さんの考えは分かるが、
医学的な処置も必要なのでは。

とのこと。

学校の先生から、その言葉を聞いて、
教育の現場に、しっかりと精神医学が入り込んで
いるのを知った。

教育者としてそれは怠慢なんじゃないのか?

医学って言うけど、
それは科学的な裏付けのない、
あくまで医者の主観で病名をつけ、
薬に依存させるようにするために、
やってるんですよ。

と当時言えなかったことが残念だ。

今だったら、この「大笑い精神医学」を
参照してもらうことができる。

心強い味方ができたのが嬉しい。


体罰で思考停止

生徒を、教え子を殴る、蹴る。
それは何が目的なのか?

私が中学生の時の
生活指導の体育教師。

教室の前に連れ出された一人の生徒。

 なんで、おれがこうするかわかるか。
 言ってもわからないんだったら、
 こうするしかないよなあ。

と話しながら、生徒を殴る。

 おまえたちのためなんだよ。

また殴る。


黒板の前で殴られている生徒を見せつけられて、
目をつけられたら、自分も殴られる可能性がある。

沿う感じさせられて、
授業中だろうと、なんだろうといつもうるさい教室は、
静まり返る。

殴って痛みを与える。

それでおとなしくさせて、
黙って言うことをきかせる。

そのためだったら、体罰は有効だろう。

でも、力のある人とか立場が上の人の言うことを、
ただ黙って聞いて従うだけの人が、
いまの何が起こるかわからない世の中で
人生を切り開いていけるとは思えない。

従順な人を育てるのが目的の教育には、
私は関わりたくない。




これを書いてて、思い出した。

別の時、その体育教師が、
空き教室にある生徒を連れて行き殴ったり蹴ったりしている。

当時の私の担任は、理科の先生で、
身体は大きかったが、
体罰をふるうタイプじゃなかった。

で、体育教師が入っていった空き教室に、
後から入っていって、後ろからじっと見ていた。

いま思えば、担任も戦っていたんだろう。

悪いことばかりではなかったんだと、
今気づいた。







雪合戦は必須科目なんじゃないのか?

雪の降った翌日、横浜のはじっこに住んでいたわたしは、
小学校では、授業を一時間潰して、
グラウンドで遊ばせてもらったもんだ。

それで、先生も交えて雪合戦をした。

茨城で育った妻も、当然、小学校では、
同じように雪合戦をしたそうだ。

だから、昨日は、息子たち、
学校でやってくるものとばかり思っていたら、
なんか、不満そうな顔の二人。

ドロドロになるからと言われてやらせてもらえなかった。
グラウンドで遊ばせてもらえなかった。

え?

雪が積もったら、
雪合戦は必須だよなあ。

雪に触れられて遊べる機会なんて、
年に1、2回あるかないか。

ましてや、昨日は東京では何年かぶりの大雪。
たっぷり積もっている。

この状況は、子どもの時に
身体で体験しておくべきなのではないか。

教室での勉強より、
そっちの方が重要だろ。

まあ、当然子どもにケガさせてしまったり、
服を汚してしまったりといったリスクがあるわけで、
管理者としては、親からクレームつけられる可能性などなど
考えたらできないってことなんだろう。


つまらん。


三男は保育園で雪合戦してきたとのこと。

よかった。

まあ、保育園だったら、
雪合戦やらの雪遊びさせなかったら、
逆にそれでクレームがつきそう。






269 ぜったいできる

頭がわるいとか、
才能がないとか、
親の遺伝だとか、
病気だとか、
脳に欠陥があるとか、
できない理由を考えようと思えば、
いくらでも考えられます。

でも結局それはやらない言い訳だ。

などという話をしたところで、
意地でも、自分はできない才能がないから勉強は無理だ
と言ってくる生徒さん。

話し合いをしても時間の無駄。

数学の成績がひどいので何とかしたいとのことなので、
段階を下げて、以前できていたというところから、
順番に練習させていきます。

意味があやふやだったり、
知らない用語は、理解できるように手伝います。

何か問題が解ける度に、

できてるじゃんか!!

などと声をかけます。

こう言われて、
悪い気がする人はいません。

本人ができないと思い込んでいる場合、
周りからダメだダメだできないできない
と繰り返し言われ続けて、
そう思い込んでしまっている場合がほとんど。

最初は、些細だったり簡単なことでいいので、
自分はできるってことに自分で気がつくよう仕向けます。

それができたら、できることの量や質を
少しづつ増やしていきます。

一人一人の様子を見つつ、
引っ張りあげていく作業で、
手間がかかります。

でも、最後には自分で勉強を進められるようになるんです。


なにか、結果を出さなくてはいけない状況で、
病気だとか
脳に問題があるとか、
才能がないとか、
理由を考えてもどこにも行き着きません。




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基礎からわかる勉強の技術


発達障害61万人って

なにを根拠に発達障害だとしているのでしょうか?

文章の要点を読み取れないなら、
それは、文章の要点を読み取れていないわけで、
理解していない言葉がそこにはあるということです。

簡単な計算ができないのならば、
それは足し算やら引き算やら
いままでやってきた算数のどこかで、
理解していないものがあるということです。

そもそも、それを勉強する必要性が教えられていない、
なんてことはよくあることです。

支援が必要な生徒はもちろんいるでしょうが、
発達障害とレッテルを貼ることで、
状況を理解したつもりになっても、
解決には結びつかないでしょう。

発達障害ってのは、
脳の何らかの欠陥によって引き起こされる
病気だから、支援が必要って考えてるのだとしたら、
目の前のその子に何が起こっているのか、
見ていない。



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基礎からわかる勉強の技術


失敗しようが、文句を言われようが、 やった人の方が、何億倍も偉い

考えてねえで、やるんだよ。

その情報を知っているだけじゃあ、
意味が無い。

やらない、実践しないんだったら、
知識に対して責任をとっていないことになる。

ただ知らないってことよりも、
たちが悪い。

必要なのは、実際やってみるってこと。
実践すること。

やらないで、考えていてもしょうがない。

批判はやってみてからにしてくれ。

本を読んでばっかりいないで、
いすに座って勉強ばかりしてないで、
現場で試してみるんだ。

やってみて、経験してはじめて、
本当の意味で知っていると言える。

やらないでごちゃごちゃ言ってる人よりも、
失敗しようが、文句を言われようが、
実際にやっている人の方が、何億倍も偉い。










ながら勉強はダメ

宿題をテレビ見ながらやるとか、ダメです。

もし、出された宿題で漢字を覚えるとか、
計算練習とか、
まあ何度も繰り返す練習をしていて、
指定された量をやってしまわないといけない。

で、見たい番組があるとか、
退屈さを紛らわせるために、
音楽を聞きながらやるとか、
そうして一度に2つのことができて良いように思えたりします。

でも、実際はどちらも中途半端。

漢字練習だったら、書く作業はできたのかもしれませんが、
ノートのページは埋まったのかもしれませんが、
そもそも何が目的なのか?

その漢字を書けるようにすることが目的であって、
ページを埋めること自体が目的ではありません。

テレビ見ながらでは、ページを埋められたとしても、
書けるようにするという訓練はほとんどできていません。

わたしも、学生の頃はウォークマンで音楽を聞きながら勉強してました。
今思えば、それは音楽を聞きながらでもできてしまう程度のことをしていただけ。

もし、その時やっていたなにかの勉強だけに集中していたら、
かける時間は半分以下になっていたはずです。









英語だろうが日本語だろうが、 必要なこと

英語世界では、私は小学生レベル以下の読み書き能力。

周りに、日常的に英語を話す人がいたわけでもない。

英語を書く、話すことについては必要性がなかった。

だから、辞書を引き引き読むことはできるけど、
書くとか話すとかっていう訓練をしていない。

しかし、何の因果か、翻訳をすることになって、
英語ネイティブの方に手助けしてもらう機会をもらった。

その女性、日本語を話すわけではない。だから会話は英語。

翻訳する文献で、難しくなって止まっていた。
それで、声をかけていただいた。

気にかけてくれたのは、ありがたいんだけど、
英語で解説されてはたしてわかるようになるものか?

という疑問があったが、
必要なかった。


わかるようにわかるまで説明してくれた。
英語で。

とてもよくわかった。

わたしがいつも生徒さんに対してやっていたこと、
昨日は、私が生徒の立場になって逆にやってもらった。

まず必要なのは、相手に理解をもたらそうという意図。
それは、英語だろうが日本語だろうが、
変わらない。

改めて、気づかせてもらった。










長い間ひどい状態だと、自分がひどい状態にいることがわからない

ここ数日、だいぶ冷えるようになってきたのもあってか、
エンジンかけてもすぐ止まるようになってしまった。

それで先週末、行きつけのバイク屋さんに修理に出した。

修理が終わったと連絡をもらい、取りに行く。

夜、9時過ぎだというのに、店が開いているのがありがたい。

なおったスクーターに乗ってみると、あれ?!すんごい快適。

最近ずっとキックしてエンジンスタートさせてたが、
その必要はなくボタンを押せば一発でエンジンがかかる。

アクセル回すとスムーズに回転が上がっていく。

調子が良くなって、はじめて、あちこち調子が悪かったことに気がついた。

調子が悪いのが普通の状態になってしまっていて、
それが本調子でないということがわからなかった。

ずっとひどい状態にいると、
その状態があたりまえになってしまう。

毎度毎度、何度もキックしてエンジンをかけていたが、
それについてなんとも思わず、それが当たり前になっていた。

それはどこかがおかしかったのだ。

本当に動かなくなってしまって、はじめて、修理に出した。

本来はどういう状態で、どのように機能するものなのか、
正常な状態はどういう状態なのか?

わかっていれば、もっと早く修理に出していただろう。

でもまあ、今回のことで違いがよくわかったので、
今度調子が悪くなったら気がつくはずだ。


勉強でも同じことが言える。

苦痛を感じながら、
いやいや勉強を何年も続けていると、
苦痛なのが勉強だと
勉強とはそういうものなのだと考えてしまうかもしれない。

わたしも学生の頃はそう考えていた。

勉強は、この眠気やら苦痛に耐えて一生懸命やる必要があるのだ。
とがんばろうとするが、結局眠気には勝てない。

でも本当は苦痛とか眠気に耐える必要はない。
苦痛を感じている時点で、何かがおかしいのだ。

必要なのは、耐えることではなく、
その原因を見つけ取り除くこと。

スムーズに勉強を進めて、どんどん加速していく気持ちよさを
ぜひぜひ多くの人に味わって欲しい。





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基礎からわかる勉強の技術


いいとこ行っても、勉強嫌いになったら元も子もない

泣きながら、
ほっぺたつねりながら
目薬差しながら、
死にそうになりながら
勉強を続けた。

勉強といっても、
ひたすら単語やら、
解法やらを暗記する作業。

勉強が苦痛で仕方がない。

学校を卒業して社会人になって、
もう勉強しなくていい。

助かった~

と解放感を味わった
という人。

かわいそすぎる。

勉強して得た知識やらなにやらより、
勉強ができる
学んでいくことができる
ってこと自体の方が、
よっぽど必要なこと、大事なこと。

長い間、無理矢理な勉強をして、結局、
勉強できない身体になってしまった。

だとしたら、これからどうやって生きていくっていうんだ。


なにかをできるようにするために、
新しいやり方を学んで、
さらにもっと何かができるようする。
それが勉強。

重要なのは、試験に受かって、
合格したり、資格を取ったりする事ではなく、
勉強したことを実際にできるのかどうか?
仕事に生活に、役立たせることができるかどうか?

だ。

ただ、実際問題これを中学生、高校生に、
伝えるのは難しかったりする。

彼らが今、必要としていることは、
テストの結果であり、
学校の成績。

それだから、苦痛をこらえて、
勉強を続けてしまうなんてことが、
起こってしまう。

で、学校での勉強は、
生活や仕事で役に立たせるという目的で
カリキュラムが作られていない。

勉強することはたくさんあるが、
それをなににどう使うのか?

なんてことは、教えられない。

しかしまあ、現時点において、
カリキュラムのことをあれこれ言っても仕方がない。

せめて勉強ってどうやって進めると
苦痛を感じることなく、
スムーズにだんだんスピードをあげていけるように
やっていけるのか?

を伝えて、練習させて実践を繰り返させる。

そうした勉強のやり方が身に付いたら、
学校をでてからも、
勉強を続けて、新しいやり方を身につけ、
実践し、いろいろあるだろうけど、
自分の道を切り開いていくことができる。




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基礎からわかる勉強の技術


267 自分がバカだというのは、誰かの意見であって事実ではない

式をグラフに表すところで、
止まっているある生徒さん。


 おれあたまわるいんです。
 バカだから無理っす。


わかった、わかった。

じゃあ、まずこれやって。

段階を下げて、
グラフ上の点を数字で表したり、
逆に数字で表された座標から点を
見つけさせたりを
躊躇なくできるようになるまでやらせます。

できるようになったら、
数式の部分部分が何を表しているのか、
定義を理解させ、

と段階を踏んで順番にやっていきます。

ひとつひとつをとにかく
わかるまでできるまで、繰り返させます。

いくら間違えたとしても、
理解していないところをみつけ、
誤解している用語や記号を調べさせ、
また、同じところを繰り返させます。

場合によっては、何十回も繰り返す必要があります。

でもとにかく、できるまでやる。やらせる。

すると、どこかでできるようになります。


  すごいすごい、できたじゃんか!!!


とおもいっきりほめます。

本人もうれしそう。

満足しているところで、
聞いてみました。


  頭わるいって、誰に言われたの?


よくでてくるのが、お母さん。

自分の息子が娘が、
できない様子を見ていて、
イライラしてしまう気持ちはよくわかります。

それで、つい、

なんでできないの!
才能ないのねえ!

などなどと、余計なことを言ってしまう。

でも、それで状況が改善することはありません。

多少、忍耐が必要かもしれませんが、
できるまでうまく導いて、
できるようになるまで
見守ってあげられるといいですね。


空をとべるわけ

おこられたとへこんでいたある高校生。

プロのミュージシャンになりたい。

で、音楽の専門学校に行きたい。

とご両親に話したんだそうです。

それで、反対されたとへこんでいます。

当たり前だわ。



だいたい、音楽でどうやって食ってくつもりなんだ?
仕事にするには、ギターの腕だけじゃなくってなあ、
お金にするっていうことが必要なんだよ。
そういうことわかってるのか?

どうしても行きたいんだったら、
自分で何とかしろ。



と言われたとのこと。
彼の甘さをきちんと指摘しています。

まともないいお父さん。

そのぐらいで、へこんでいるようだったら、
まあ先はないなとは思いつつ、
ひとつ無責任な話をしました。



飛行機って、何で飛べるか知ってるか?

前に動くとなにが起こるか?
自転車でスピード出すとどうなる?

空気が顔に身体にあたるよな。
止めようとする力が働くだろ。
動くといろんなものがぶつかってくる。

その前から向かってくる力を、
上向きの力に変えて、
空を飛ぶのが飛行機なんだよ。

君はいずれにせよ、前に進んでいる。
それで、いろいろぶつかってくる。

反対されるってのは、
前に進んでいるから。

ぶつかってくる力をまともに受けて、
ストップするのも、
空を飛ぶために使うのも、
君しだいなんだよーん。



266 間違えたらラッキー

ノートに細かい字でびっしり書き込んで、
計算しているある中学生。


  それ答え間違ってるよ。


と伝えると、
消しゴムでノートに書き込んだ計算を
一生懸命消し始めます。





おいおいちょっと待て。
なんでそれ消しちゃうの?


  間違ってるので。


なにが間違ってるのか確認した?


  いや、してません。


おれが嘘ついてたらどうする?


  ・・・


まあ、嘘つかないにせよ、
こっちだって間違えることがあるよ。
消してどうするつもりなの?


  もう一回やります。


それじゃ、せっかく間違えたのに、
もったいない。


  は?


なにをどう間違えたのか、
自分で確認して、わからないままにしていたら、
また同じ間違えしそうだよなあ。

まず、なにを間違えたのか確認しようよ。

それで、なに間違えたのか分かっとけば、
次回からその間違いは防げるよな。
間違ったらそれは直せるチャンスなんだよ。

というわけで、消しゴム禁止な。


  ええ~っ!


計算を消しゴムで消してしまうと、
なにを間違えたのかが分からないまま。

消すのに使う手間と時間も無駄です。

まずは、自分がなにをして、どう間違えたのか、
それを見て、自分で間違えがなんなのか分かれば、
直すことができます。

よくいるのが、自分はできるはずだと
根拠なく思いこんでいる人。

その人は、自分の間違えやミスを受け入れられず、
を見ることができません。

だから、自分がやったことを
消さずにはいられません。

そういう人は、いつまでたっても
同じ間違いを繰り返しがちですねえ。






親子で楽しむ学び方 LEARNING HOW TO LEARN


基礎からわかる勉強の技術



265 ボロボロになった辞書・知人から聞いた話

中学校は、数日しか行ってない。
勉強ってものをしてこなかったから、
漢字を知らない。書けない。

このままだらだらしているわけには
いかないと思っていたところで、
見かけたよくいくコンビニでのアルバイト募集の文字。

履歴書は、友人に書いてもらった。

店長らしき人による面接。



  君は、よくダブルクリームエクレア買ってくれてる人だよなあ。


  はい。あれうまいっす。


  ありがとうな。今日からできるか?


  はい。


ダブルクリームエクレアのおかげで、
あれこれ聞かれることもなく、採用。

しかし、すぐに問題が発生。

お客さんから、領収書をくださいと頼まれる。

でも、漢字が書けない。

他の人に書いてもらうように頼むしかなかった。

あいつは漢字も書けないと、
後ろ指を指される気がして、
頼むのがいやだったが、
ムリして笑って、明るくお願いする。

これが、何回かあって、
実際、一緒に働いている人たちの間では、
自分が漢字が書けないということが知れ渡る。

休憩時間、控え室に戻って、
恥ずかしさやら腹立たしさやら、
沸き上がってくる感情を
一人でぐっとこらえていた。

おれは字も書けないのに、
ここにいていいのだろうか?
やっぱりおれにはムリなのか?
やめたほうがいいんじゃないか?

頭の中をかけめぐる、
様々な考え。

ふっと、顔を上げてみると、
テーブルの上に、国語辞典が目に入った。
しかも、小学生向け。

あ、これで漢字を調べられる!

それから、バイトのあとに
漢字の練習をはじめた。

店長は、その様子を見て、
早く帰れとも言わずに、
放っといてくれた。

あるとき、言われたひとこと。

がんばってんね。
あと、意味の分からない言葉も調べて、
意味を分かるようにするんだよ。

それからは、言葉の意味を調べるようになった。

意味が分かると、
文章の意味がわかる。

いままでその存在すら気が付かなかった、
いろんな書類、マニュアル、
仕事をすすめていくのに必要なもの。

漢字が読めて、言葉の意味がわかりはじめたら、
まず、その存在に気がついた。
なんだろうと見てみると、それが読める。
読んで、実際にやってみる。
なんのためにその作業をやっているのか、
店はどのように動いているのか、
お金の流れはどうなっているのかが
分かって、見えるようになる。





ある日、店長に呼ばれて手渡された
つかいまくってボロボロになった辞書。

がんばったな。
これは君にあげるよ。
ここで、やってきたこと、
忘れんなよ。

もう一軒コンビニやろうと思ってんだけど、
君、店長やってみないか?





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262 歴史なんて勉強したって

ある中学生に言われました。


  歴史ってどうも好きになれないんです。
  過去を振り返って、どうしようっていうんですか?


さて、どう答えたもんでしょうか?

私も昔、中学生の頃、歴史については
無茶な正当化をしていました。


  誰も見た人はいないのに、
  なんで昔のことが分かるんだ。
  全部嘘かもしれないだろ。


などなど。

とにかく、勉強したくないという
気持ちはよくわかります。

歴史の教科書には、年号と人物名と出来事が
ずらずら書いてあります。

ただそれだけ読んでも、
何が面白いんだかよくわかりません。

テストがあるからと、
興味のない、人物名や年号やできごとをただ暗記するのは、
かなりの努力が必要でしょう。

それで、いくら頑張って覚えても、
覚えた知識を、テスト以外で役に立てることは
できません。

そんなことでは、歴史嫌いになってしまうのも、
無理はありません。

そもそも、歴史ってなんなんでしょうか?


以前、聞いてわたしが興味をもったできごとがあります。


イランとイラクで戦争が続いていました。
イラク上空を通過する飛行機は無条件で撃ち落とすという
表明が1985年にありました

外務省は日本の航空会社に対して、
現地イラクの日本人の救出を要請。
しかし帰路の安全が保証されていない
との理由で航空会社は救援機を派遣しない。

ではどうするか?
困難な状況に陥った現地の日本人。

そんな時に、トルコの航空会社が救援機を派遣。
撃ち落とされる可能性がある危険なフライト。
しかし、トルコは実際に日本人を助けてくれました。

なぜか?

それは、100年前にあった事件にさかのぼります。


その事件について詳しくは
下記のサイトで読めます。

こちら、話の内容も良いのですが、
信じられない方法で描かれた画が見ものです。
http://tana.pekori.to/tear/log/0412.html

国際派日本人養成講座、
エルトゥールル号事件のこと
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_2/jog102.html



このように、語り伝えられている過去のできごと。
どんな状況があって、その中で、
誰が何をしたのか?
それでどうなったのか?

それが歴史において興味深い部分です。

年号やら、人物名は、
そのできごとの流れが把握できて、
興味を持つことができれば、
覚えるのは簡単です。





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262 好きを広げていこう!

隅田川とスカイツリー
隅田川とスカイツリー2






勉強が嫌い!


だれそれが嫌い!


なになにが嫌い!


わざわざ嫌いになる必要はないのに、
わざわざ努力して、その何かを遠ざけようと
一生懸命になっている人がときどきいます。

嫌いだ嫌いだ!!

って、
遠ざけようと努力すればするほど、
それから離れられなくなります。

一生懸命、その嫌いな何かだったり、
誰かだったりに注意を向けて
考え続けてしまうことになりがち。

で、そこからさらに、
嫌いなものが徐々に増えていきます。

興味がないなら
ないだけで、
ほっとけばいいのに。

それよりも、何か好きなもの、
好きな科目、好きな人、
を見つけて、それに注意を向けて関わっていけば、
好きなものが広がっていきます。

何かを好きになるには、
その対象になる「もの」が必要です。

たとえば歴史の勉強、
年号を暗記したりします。

そんなただ暗記するだけの数字に意味がないことは、
本当はよくわかっています。

でも、テスト対策で、無理矢理語呂合わせで
覚えたりしがち。

それで、歴史が苦手になって、
嫌いになってしまったとしたら、
なんのための勉強なのでしょうか?

そんなことで、よっぽど変わった人でない限り
歴史を好きになれるとは思えません。

必要なのは、そのときどんな状況、問題があって、
誰が、なにをしたのか?
その結果どうなったのか?

たとえば、歴史マンガとか歴史ドラマ。
その時代の「もの」、
衣装やら格好やら武器やら家やら
があって、
その中で、誰がなにをしたのか、
で、どうなったのか、
知ることができます。

そこでは、
興味を持てて、好きになれるかもしれない
「もの」を見ることができます。

そして、何かの状況があり、
その中で誰が何をしたのか?
で、どうなったのか、
興味をもって知ることができれば、
それがいつ起こったことなのかは、
自然と頭に入っているかもしれませんね。




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260 勉強しようと思うけど座っていられない。

よーい、ドン!
よーい、ドン



質問をいただきました。

——————————————

勉強をしようと思っても、座っていられません。

一度座っても、すぐに立ち上がって
別のことをはじめてしまいます。

そういう癖が身についてしまっていて、
勉強に手がつきません。

どうしたらいいのでしょうか?

——————————————


わたしは、若いころ、ビルの窓ふき職人をやっていました。

高層ビルの窓ガラスも洗います。
25階建てのビル、50階建てのビル、などなど
のガラスをゴンドラに乗って、
上から洗っていきます。

下を見ると、歩いている人は点にしか見えません。
風が吹くとゴンドラは揺れます。

洗わなければならないガラスは膨大な量あります。

だからゴンドラに乗っている間は、
ひたすらガラスを洗います。
  
で、わたしが高層ビルの窓ふきの話をすると、
聞かれます。


  こわくないんですか?


  こわくないです。


新しくアルバイト君がやってきます。
サーファーだそうで、体力はありそうです。

彼を屋上に連れていきます。

ゴンドラの準備をして、
わたしが先に乗り込みます。

彼は、足がガクガクしています。
見て分かりました。


  おっかないです。


  いいからのれ!


3日目くらいから、
彼は、ふつうに何の苦もなく、ゴンドラに乗り込んで
作業を進められるようになりました。

高いところがこわいという人がいます。

こわがっていたら、作業できません。
仕事になりません。

だから、楽に自然にいられるようになるしかありません。


「勉強の技術」を開発した、L.ロン・ハバード氏の言葉に、
「コンフロント」というのがあります。
ただし、ふつうの英和辞典にあるような定義とは少し違います。

 confront,コンフロント:
  直面すること、楽にそこにいて知覚すること


目隠しして、下を見えないようにしたら、
怖くないかもしれません。

薬を飲んで、神経を麻痺させたり、
気持ちをたかぶらせたりしたら、
怖くないかもしれません。

でも、その状態は、
コンフロントしているとはいえません。


わたしは以前、
「勉強の技術」のトレーニングを徹底的に受けました。

そこで一番最初にやったのが、
文書を前にして、楽に座っていられるようにする
コンフロントするということです。

文書を目の前にして、2時間以上座っていました。


  そんなアホな!?


と当時、少しだけ思いました。

でも今考えると、これは
勉強する上での土台になるものです。

基本中の基本。

もっとも初歩の段階。

机に向かって座っていられる。

これができないと勉強できません。

座っていられないのであれば、
座っていられるように、
訓練するしかありませんね。





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基礎からわかる勉強の技術



ていうか、学校教育は、ひたすら与えられる情報を 受け入れるだけの従順な人を育てることが目的だった。

土手ですべる。




教育において目的が見失われている。

ていうか、学校教育は、ひたすら与えられる情報を
受け入れるだけの従順な人を育てることが目的だった。
と考えると、これまでの学校教育が何だったのか、理解できる。

与えられたカリキュラムがあり、
それに従って必ず答えがある問題を与えられ、
あらかじめ用意されている期待されたことを答えられれば、
優秀だということになる。

ひたすら言われたことだけをする。
正解は1つだけ必ずあるという学校教育。

この仕組は、もう終わりにしてもいいのではないか?

今の時代、上から与えられたことをただこなすだけの人が、
大量に必要か?

逆に、ただ上から与えられたことをこなせるだけの人に、
未来はあるか?

現実の生活や仕事では、様々な膨大な量の要素が絡み合う。
その状況を把握し、どうするのが良いのか判断し、
行動していく。
それがうまくいくときもあるし、うまくいかないこともある。
何が正解なのかは、状況によって変わってくるし、
人によっても変わってくる。

いくつも選択肢が考えられて、様々な要素を考慮に入れた上で、
最善の手を打つ。
うまくいかなかったら、またどうすればいいのか見つけたり考えたりして、
再度実行してみる。

必要なのは、一人一人の人が、
周囲の人たちと協調しつつも、
自分で判断して、その人の責任で新しい仕事を生み出せたり、
改善できたり、続けていけるってことなのでは?


教育において目的が知らされていない。例えば数学について

指だぞ!指!指ぐらいにしとけ!






教育において目的が知らされていない。

どの科目でも言えるが、
例えば数学について。

数字は、何かの量を表す。
何かの量をどこからどのように見て、把握して、扱うのか?
それが数学。

「計算」はあくまでも補助的なテクニック。
テクニックを身につける必要はあるが、
それは、何かの量を把握するという目的を達成するための手段である。

目的を知らないまま、手段だけみにつけても、
何の役にも立たない。

計算がいくらできたところで、
それが何かの量を表したり、把握したり、扱ったり
他の量と比較してみたりといったことを知らなければ、
何の役にも立たない。

二次方程式が、仕事や生活の上で何の役に立つんですか?

っていう質問は、それが、あくまでも単なる計算で、
目的を達成するための補助的な手段であるということを
知らないことからくる。

しかし、学校のカリキュラムにおいて、
数学の目的を教えられることはない。

ひたすら、目的を知らされないまま、
補助的なテクニックを身につけさせられることになる。
それじゃあ、面白くないし楽しくなりようがない。

数学の目的は、論理的とか数学的思考力を身につけるとか、
よく聞くが、その何とか的思考力がいったい何なのか、
明確に定義付けされることもない。

何かの量を把握して扱う。

これを目的にすることで、
使って役立たせられる実用的な数学のカリキュラムができるのではないか?




学校の勉強は役に立たない?

ザリガニ釣りにはまだ時期が早すぎたザリガニ釣りには早すぎた




それは、その通りなのでしょう。
学校の勉強は生活の役に立たない。
でも、やらなくてはいけないことになっている。

役に立たないからやらなくていい。
ということにはならない。

学校の勉強ができて、テストで良い点数をとれて、
学校の成績がよかったとしても、
それだけでは、生きていくことはできない。

学校の勉強ができて、成績が良かったとしても、
社会の中で仕事ができるという保証にはならない。

それは、その通りですね。

じゃあ、どうしたらいいのでしょうか?

学校の勉強は役に立たないと考えている限り、
それは役に立つものにはなりません。

その知識を経験を日常生活に、仕事に、趣味に、遊びにどう役に立てるのか?

それを考えてみてはいかがでしょうか?





英語は日本語ではない 4 実践編 

英語上達は特に目的ではなかった。
しかし、2ヶ月のフロリダ滞在で、
周囲に日本人はわずかで、
どうしたって意志を伝える必要があり、
英語を使うしかない。

で、最初のうちは、自分が話すと

はあ!??

という顔をされていたが、
英語は主語+動詞だ!
を意識した。
あと、質問だったら語尾上げとけば質問だと通じる
と分かった。

気がついたら、
あんたの英語上達したねえ
と言われるようになる。

なんとかなるもんだ。
机に向かって英語を勉強するのと、
実際のコミュニケーションの場でその瞬間瞬間に
相手の考えを理解し、こちらの考えを伝えるのに
英語を使う行為は、かなり距離があることを感じた。

あと、rの発音、意識して思いっきりやらないと通じない。

「word」 は「ワード」

と日本語のひらがなの発音で言ってしまいがちだったが、
それだと全く通じない。
?という顔をされる。
日本語にはない「r」の発音の重要性に気づかされた。

日本語と英語は違う。



英語リーディング教本―基本からわかる

258 勉強しなきゃと思うのですが、はじめると寝てしまいます。

質問をいただきました。


  現在、資格試験の勉強をしています。

  仕事を終えてから、机に向かうのですが、
  勉強を始めると、すぐに居眠りをしてしまいます。

  「やらなければ」っていう気持ちはあるのですが、
  毎日のようにそのような状態になってしまって
  困っています。

  このような状況に陥らない良い方法はありますか?
  宜しくお願いします。


勉強しようとすると眠くなる。

やる気はあるのだけど、
眠気が襲ってきてどうにもならない。

わたしも昔々はしばらくそういう状態でした。

なんとかしようと思い
コーヒーをがぶ飲みしたり、
外に散歩にでかけて目を覚まします。

再度机に向かいますが、
すぐに眠気が襲ってきます。

  気合いが足りないんだ!

と思ってはちまきを締めてみたり、
真冬に水風呂に入ってみたり。

そのときは目が覚めます。

でも、机に向かって参考書を開くともうダメ。

眠気はどうにもなりませんでした。

それで、自分は頭が悪い。
だから頭を使う仕事はできない
  
と勝手に思いこんで、
その後何年もビルの窓ふきをやっていました。


その状態を変えられたのは、
「勉強の技術」を知ってから。

勉強していく上でぶつかる3つの壁、
その中でも、「誤解語」が一番大きな壁になること、
そしてその対処法を知りました。

ほんとかよと思う部分もあったのですが、
試してみました。

当時、パソコンは今ほど一般的なものではありませんでした。

マニュアルはあります。
でも分厚くてたくさんの用語がでてきます。

読もうとするのですが、やはり眠くなります。

わたしはごく初心者向けのパソコン用語集を手に入れました。

そして、眠気をこらえて、マニュアルの中に出てくる
パソコン用語をひとつづつ調べて理解していったのです。

最初は眠気でつらかったです。

でも、理解できた用語の数が増えていくにつれ、
スピードは加速度がついて上がっていきます。      

用語を一通り調べて理解した後に、
マニュアルを読んでみると、簡単に理解できるのです。

こうして、パソコンが使えるようになりました。

あ、できるかも。
という感覚をつかんだ私は
それからは、調子に乗って他のことでも、
同じやり方で、勉強を進めていけるようになったのでした。



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257 おこっても、どうにもなりません

  なんで、こんな漢字くらい、覚えられないのか?

  なんで、こんな簡単な計算をよく間違えるのか?


簡単にできる人から見れば、
疑問に思うようなこと。

できないということが、
想像もつかないようなこと。

なにやってるんだ、なんでできないんだ
と、ついイライラして、
怒ってしまったりすることがあります。


友人が、たびたび、


  20%引きということは、いくらなのか?


  3割引って、これいくらになるのか?


などと、計算機代わりに、私を使います。


それで、あるとき  


  いい加減にしろ


と、腹を立ててしまいました。

かといってそのまま怒っていても仕方がないので、
割合や%の計算方法を教えようとしたのですが、
うまくいきませんでした。

友人は、おそらくこれまでずっと、
割合の計算ができなかった。

そのことで、先生とか親御さんから、
なんでできないのと、叱られてきた。

仕事をしていれば、当然どこかで
「割合」の計算をする場面が出てくるでしょう。

それを、人に頼んだり適当にごまかしたりと、
いままでなんとかやり過ごして来た。

「割合」に関して、つらかったり、きつい思いを
これまでの人生で何年にもわたって
繰り返してきたわけです。

さらには、信用していた私が、腹を立てた。

「割合」の周辺で、
嫌な感情がつもりにつもっているわけです。

もう、「割合」とは関わりたくない!

と意地になってしまっています。

そんな状況では、教えようと思っても、
まったくうまくいかなくなってしまいます。

お子さんや、周囲の人が、
何かができない。

そんなとき、


  なんでできないの!


とイライラしたり、腹を立てたりしていませんか?

そのせいで、
ますますできないように
してしまっているのかもしれません。

そんな状態だったとしても、
対処する方法はありますが、
余計な手間はかけたくないものです。




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