宮城県東松島市復興支援 ボランティア体験記 3  青い鯉のぼりプロジェクト

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震災が起こった日、お兄ちゃん二人は学校に、
当時幼稚園に通っていた律くんはうちにいた。

地震が起こり、津波に襲われ律くんとうちにいた家族は亡くなった。
後日、うちに戻ったら、彼が大事にしていた青い鯉のぼりがでてきた。
これを泳がせて、俺達は元気でやっているってことを伝えよう。
ということではじまった青い鯉のぼりプロジェクト。

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もともと泳がせていた鯉のぼりに加えて、
さらに追加の鯉のぼりをロープにかけるお手伝い。

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青い鯉のぼりプロジェクト発起人、亡くなった律くんのお兄さんの開会の言葉。

「全国からお越しくださってありがとうございます。
ここで何を感じてくださってもいいと思います。
いろんな想いがあっていいと思います。
でも、それが希望だったとしたら僕はうれしいです。」

この彼の言葉を聞いて、悲しいわけじゃなく、でも涙がでてきてしまった。

ここにはかつて街があった。
でも今はずーっと遠くまで更地が続いている。
何もないように見えるけど、ところどころ破壊された生活の跡が見える。
壊れた弁当箱、皿の破片、家の土台のコンクリート、ねじまがった鉄筋。

そして、ここで泳いでいる600匹を超える青い鯉のぼりと集まってきた大勢の人々。
起こってしまったこと、
それはここに住む人全員に大きな傷を残し、
それはまだ癒えたわけではない。

でも前に進むために、未来に進むために、行動している人たちがいる。

今回、復興支援という名目で助ける立場で東松島市に行ったわけだが、
このひどい影響をプラスに変えて
未来に向けて進んでいこうとしている人たちの存在を知り、
逆に自分が元気と勇気をもらって助けられたような気がする。
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小5の息子が帰りの車中で話してくれたこと。

「どこもきれいでちゃんとしてるように見える。
でも、津波のあとはまだ残っていて、
まだ大変なのは変わらないのがわかった。
なにか役に立てることをこれからもしていきたい。」



宮城県東松島市復興支援 ボランティア体験記 2  海岸沿いの被災地を視察

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海岸沿いの被災地の様子を視察。
ずっと遠くまで更地になっている。
で道路だけがある。

なにもない。遠くの松林で、斜めになっている木が何本か見える。

海に面して真新しいテトラポットが。
巨大なコンクリートの塊が海岸線をずっとと向こうまで埋め尽くしている。
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震災の時の助かった話を聞いた。

舞台はずっと向こうに見える造船所。

900人の従業員がいる。
皆車でここまで来ている。
全員が避難したら道は渋滞するだろう。
ここには、大きな建屋があり、中には3F以上の高さがある足場が組んである。
そこに避難すれば、津波の直撃は免れるだろう。
避難するな。ここに残れ。足場に登れ。
という所長の決断と指示。

結果、全員無事だった。

とのこと。
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つづく



宮城県東松島市復興支援 仮設住宅春祭りボランティア体験記 1

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東松島市の仮設住宅での春祭りに応援でボランティアとして参加した。

春祭りを何のために開催するのか?
主催者の方に話をうかがった。

被災する前は、普通に挨拶したりする仲だったご近所さん。
しかし、仮設住宅に入り、5人家族だったのが、3人になっている。
亡くなったのか、別れて住んでいるのかわからない。
聞くことができない。
前だったら、顔見たらおはようって挨拶してたんだけど、
できなくなってしまった。

先行き不安で、気持ちがふさいでしまって外にでることができない。

といいったように取り残されたと感じている人たちに、
できるだけ誘い合って外に出てきてもらう機会を増やしていきたい。

それが目的。

報道機関に祭りを実施することを伝え、各社から取材がきていた。
NHKでその日の7時のニュースで全国放送で流れ、被災地の現状が伝えられることになった。


仮設住宅は、元々は公園で野球場だった場所に建てられている。
言われてみれば、照明設備が、広い範囲を照らす野球場のものだということに気がつく。

お祭り当日、祭りが始まり、広場の真ん中で机をならべて全長36mの長のり巻き作り。住民の方々が並んで、巻いていく。
できあがって、なが~いのり巻きをみんなで持ち上げて完成。
それは住民の方々に配られる。その後、ボランティアの方々にも配られ、私も頂いた。



私達は白玉おしるこの販売をはじめる。お客さんは次々にやってきて最終的に予定した量を完売。

その後設置したテントや椅子を片付けて祭りは終了。


その後、みんなでスーパー銭湯に行く途中で、海岸沿いを視察しに行く。


つづく


雨上がりの朝、散った桜を前にした掃除のおじさんの名言

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何かの仕事、作業を行う際、
完璧さを追求するために
いつまでたっても完了できない。
求めている質を達成できないから、
完了できない。終わらせられないなんてことがある。

ラーメンのスープが満足行かなかったので、
今日は休業させていただきますみたいなこと。

何が問題なのか?

その場合、目的が何なのかが、
正確に理解されていない場合がある。

目的に対して、十分な質が備わっていればいいわけで、
その時、必ずしも完璧さは必要ない場合が多々ある。

これを人に理解させるのが、
なかなか難しい時があった。


雨が上がったあとの朝。
桜並木が美しい駅からの道。

道は濡れた花びらでピンク色。

掃除のおじさんの二人組がいて、
一人が新入りに指導しているような光景。

そこで耳に飛び込んできた言葉。

きれいにしようと思うな。
減らすんだ。

朝と夕方通り過ぎるだけの私にとっては、
春のわずか数日の美しい光景。

でも、掃除のおじさん達にとってもたら、
これは、対処しなければならないかなりの事態。

歩道にびっしり張り付く濡れた花びらは、
ほうきで掃こうにも動かない。

この花びらをすべて掃いてしまわなければならないとなったら、
どれだけの時間がかかるのか。

限られた時間の中でこの広大なエリアを
不快でない程度に整えておく。

そのために、何が必要か。

おじさんはそれを理解している。

早朝ランニングのすすめ

朝起きるのがしんどいとか、
起きられないとか、
考える以前に、ただ起きる。
身体はそのまま寝たがっているが、
身体の言うことは聞かない。

私が身体を動かす。
身体を外に連れ出して走らせる。

外に注意を向ける。

昨日より少しあたたかい。
風がわずかにふいている。

ここのところの、しんどい人間関係。
信頼していた人の嘘。
がっくり落ち込まされた。
その人のせいで、気分が悪いのだと思っていたが、
本当はそうじゃなかった。

その人の問題は、その人の問題で、
彼が自分で解決しなくてはいけない。
他に解決できる人はいない。

それに巻き込まれて
私が影響を受ける必要は全くなかった。
走っていて思い出す。

上を見ると桜の花が咲きかけている。
昨日はまだ咲いていなかった。

日々のちょっとした、でも確実な変化を
見つけられるのが嬉しい。



小湊鉄道で見た風景

個人だろうと組織だろうと、様々な状況がある中で
なにをどうやって生き延び、未来を作っているのか?
それに興味がある。

日経ビジネスオンラインでの記事「古すぎる鉄道」の極意。読んだ。

地方のローカル線といえば、

沿線の人口の減少。
さらに自動車の普及による利用者の減少。
それで、地方のローカル線は、
厳しい経営で存続が危ぶまれている。

そんな固定観念があった。

しかし、この記事で知らされた事実。

厳しい経営環境の中、黒字を続けている。
大正時代に建てられた駅舎がまだ現役。
車両を最後に買ったのは昭和52年。
IT化しない。まったくなし。

どういうことなんだと、
昨年の夏に実際に乗りに行った。

女性の車掌さん。
行き先表示板を抱えて、
歩いてきて、手で取り替えている。
hyoujibann


列車の中に乗り込むと、
天井には扇風機。
クーラーはついてない。

駅名表示板が木製。
ペンキで駅名が書いてある。
昭和の時代のまんま。
養老渓谷

駅名がいちいち想像をかきたててくれる音と漢字の組み合わせ。

窓から見えるのは遠くまで広がる田んぼ。
そして線路に沿って蛇行する養老川

無人駅から乗ってきたお客さんに、
車掌さんが切符を販売する。

そして、黒い小さな革のかばんから取り出したのは、
切符切りの鋏。
それで、切符に切込みを入れる。

自動改札が普及する前、
改札口には必ず駅員さんがいて、
切符に切り込みを入れていた。
駅ごとに、切り込みの形が違った。

その切符切りの鋏。
これが現役で使われている。


駅にて


私が大人になってから見た日本の地方の風景には、
毎度毎度寂しさを感じていた。

駅前のデパートは、空き物件だらけでがらんとしており、
商店街は、シャッターが閉まった空き店舗がならぶ。
国道沿いに、全国チェーンの服屋、レンタルビデオ店、うどん屋。
そして、なんでもそろってる巨大なショッピングセンター。

どこか他でも見られるような画一的な風景。

面白くない。
あんまし見たい光景ではない。

私はいろんなものがそろっていて、
動きの速い都会に暮らしている身。


そこに暮らしている人達に、
そこでの生活ってものがあるわけで、
部外者の私があれこれ言うのは、
勝手だとは思う。

でも、その寂れた駅前やら、画一的なチェーン店が並ぶロードサイド、
そして全国どこに行っても同じ商品が並ぶ巨大ショッピングセンターに、
私が魅力を感じることはできない。

私が見たいと思える、
日本の田舎、地方の風景ってものは、
もう夢の中にしか存在しないのか?
とどこかで感じていた。

この列車に乗って見たのは、
まさにその夢の中の風景だった。
もうすばらしく理想的な日本の田舎の景色だった。



リベリア内戦を彼はどうやって生き延びたか?

内戦下を生き延び、
破壊し尽くされた西アフリカの国リベリアに、
秩序をもたらそうと努力している人の話を聞いた。

内戦とはどういうことなのか、
言葉では聞いたこと、読んだことはある。
それが現実にどんな状況なのか。
想像したことはなかった。




ある朝起きてみると、
外では銃撃戦が始まっていた。
外に出ることができない。
結局、2週間部屋の中でじっとしていなくてはならなかった。

ここを逃げだそうと、
国境に向かおうと、家族で歩き続ける。

その間、大通りを、トラックが往復する。
荷台にのせた機関銃から周囲に向けて乱射されつづけている。

即、伏せてじっとしていないと撃たれて死ぬ。
トラックが通り過ぎたら、茂みに隠れ、
また伏せているが、蛇やその他の野生動物が、
身体の上を通り過ぎていく。

国境の検問所、12歳の将校がそこを支配している。
内戦下の無秩序状態で、地位がどのように決まるのか。

軍歴が長いとか、功績をあげたとか、
そういうことではない。

どれだけ残虐にたくさんの人を殺したか。
それで決まる。

12歳の将校が、そこでなにをしたのか。
彼が将校であるということは、どういうことなのか?

当時9歳だった彼がみせられたこと。

大きい女性と小さい女性の二人。

大きい女性の皮を背中からはいでいく。
ぜんぶはいで一枚になった皮を
小さい女性の背中に縫い付ける。

当然、二人とも死ぬ。

将校と誰かが、賭をする。
前にいる妊婦のお腹のなかにいる子供は、
男か女か。

腹を切り裂き胎児を取り出す。
どちらが賭に勝ったのかはわからない。
その後、胎児を使ってサッカー。
当然その女性は死んだ。


そんな状況を彼はどうやって生き延びたのか?

国境の検問所で、家族ごとに一列に並ばされる。
ひとりづつ検問を受け、質問の答えを間違うと家族全員が殺される。

元々は他の国の大統領の名前をもらって、父親がつけた彼の名前。
その名前が敵の部族を表していることに気づいた父。
話すことは禁止されていたが、
後ろから彼を蹴って呼びかける。


 名前を変えろ。

 は???

 名前を変えろ。おまえの名前は敵の部族を表している。
 自分で名前を決めろ。


それで、彼は生きて今の名前を名乗っている。



船にのってガーナに行けば、助かるという話を聞いた。
家族で港に向かう。
船は来ない。
何日も待つ。
船着き場には人がぎっしり。
そしてそこが攻撃されるという噂がたつ。

その場が騒然とするなか、
船が到着する。
人が、殺到して、その重みで船に乗り込むためのはしごが壊れる。

海に大勢が落下し
港から船に乗り込む手段がなくなる。

彼は、家族とはぐれてしまう。

そこで泣いていたら、
二人の男に声をかけられる。

  おまえにはふたつの選択肢がある。
  ここに残って、反乱軍にさらわれて、兵士になるか、
  船に乗り込んで、わずかに残るチャンスをつかむか。

  船に乗りたいんだったら、おまえが持っている
  リュックサックをよこせ。

リュックの中には、食料と油が入っていた。
9歳の男の子だった彼は、殺されるとかさらわれるとかよりも何よりも、
リュックを渡すことで母親に叱られることが怖かった。

それでもリュックを渡したら、
一人の男が、両腕をつかみ、
もう一人の男が、両足をつかんだ。

どうする気だ?

その数秒後、彼は空中を飛びながら空を見ていた。

そこは、騒々しい場所だったが、
静かな静かな時間だった。

数秒が長い長い時間だった。

船は波にゆられて前後に動いている。




彼は生き延び、その後、手に入れた本
「ダイアネティックス」

9歳の時に見せられたこと、
数え切れないショックや心の傷を
ダイアネティックスの技術で消去し、
内戦終結後の破壊尽くされた国に戻り、
秩序をもたらすために活動している。








そして、日本人の援助に対する感謝の気持ちを伝えに
日本にやってきてくれた。


なにがサンタさんよと責められた

仕事の合間に喫煙所で一服しながら同僚と雑談。


  昨日さあ、息子が、ちょっと話があるんだけどって
  改まった顔で言ってきたから、
  何かと思ったら、
  サンタさんってパパなんでしょう?
  って言われちゃったよ。


  あはは、かわいいじゃんか。


するとわきにいた女が突然、


  ひどい。わたしになにかうらみでもあるの?
  なにがサンタさんよ~


と言い残して走って部屋から出て行く。

目の前の灰皿には、
薄いピンク色の口紅がかすかについた
ひねり潰された吸い殻。

まだ煙がでている。


  え?

  おれなんか変なこと言ったっけ?

  ああ、彼女、子供ができなくて悩んでたんだっけ。





  だったら、たばこすってんじゃねえよ。



解説:

いろいろ努力しても子供ができない。
それは大きな問題だったりします。

で、どうするか?

犠牲者になって周りを責め続ける。

やけくそになって訳がわからなくなる。

などなど、様々な誤った対応をとってしまいがち。

いくら身体に注意を払って努力をしても、
なにも改善しなかったとしたら、
それは、身体をコントロールしている
心に問題がありそうです。

心とは過去の経験の記録の蓄積。

そして問題になるのは、
自分でコントロールできず、
逆に自分がコントロールされてしまうことになる、
痛みと無意識の経験の記録。

その過去の痛みと無意識を含む経験を取り除き、
本来の心の能力を取り戻すのが
ダイアネティックス。





ジャンケンブルドックで学ぶ勝負事に向かう姿勢

電車の中で、息子たちが退屈して、
気がつくとパンチの応酬が始まっている。
注意をそらすために、ジャンケンブルドックをやろうと提案。

始めたはいいのだが、
ジャンケンストレート三回負けで、
私はたてたてよこよこまるかいてちょんと、
ほっぺたを引っ張られるはめに。

おかしい。

ジャンケン三連敗などという事態は、
父として許されるべきではない。

父として、私は息子が乗り越えていくべき存在なのだ。
それが、乗り越えるも何も、
こんなにあっさり負けて良いわけがない。

本気出してやる。

2回連続負けのあと、
しばらく勝ったり負けたりが続き、
片ほっぺたつねられたりつねったり。

最後には、私が息子のほっぺたを
たてたてよこよこまるかいてちょん。

勝負事はなんだろうと、
勝ちたいんだったら、
勝つという気持ちが必要だ。

それは、ジャンケンでも例外ではない。

あけましておめでとうございます。

今年もよろしくおねがいします。






めんどくさいって考えはほっとけ

でな、やったりやらなかったりっていう方が
難しいんだよ。

やるならやる。
やらないならやらない。

やるなら、習慣になるまで毎日やる。
難しいことをやれって言うわけじゃない。

毎日歯をみがくよなあ。
大変か?

めんどくさいか?

ああ、めんどくさいなあ。
でもやらなきゃいけない。
やらなかったら、あとで後悔する。
失敗するかもしれない。
続けられなかったらどうしようって、
歯みがくときに、いちいち考えますか?

考えてないで、さっさとやんなよ。
たかだか3分ですむことを
ごちゃごちゃ考えてたら、
時間も労力も無駄。

毎日フィンランド語勉強すんのだって、
毎晩スクワットすんのだって、
歯磨きと同じレベルの習慣にしちゃえばいい。

まあ、最初のうちは、
なんで自分はフィンランド語勉強してんだ?
めんどくさい。
こんなことやってないで、
副業を始めたほうがいいんじゃないか?
また、途中でやめてしまうかもしれない。
続かなかったらどうしよう。
とかなんとかいろいろ考えがでてくるかもしれない。

別にそれはそれでいいから、
ほっとけ。
じゃなかったら、紙に書出せ。その考えを。

で、捨ててしまえ。

でてきたものはでてきたものだから、
それを否定したり抑えこむ必要はない。
ほっとけ。

で、その考えが消えてなくなるまで、
続けるんだ。






翻訳は日本語力が半分以上

うう、翻訳となると、
英語が分かるのは当然だとして、
日本語が問われる。

文法的に正しく訳せる。
でも、それだけじゃあ日本語にはなってない。

訳したのを見ると、
そんな日本語を使う奴はいねえよというような文章。

英文から受け取れる概念。

その概念をどう日本語で表すか?

いままで、自分が訳文を読んだ時に、
これ日本語になってねえよ。
こんな言い方するやつはいねえ。
などと、あれこれ言って来たが、
その言葉が全部自分に降り掛かってくる。

よい日本語の訓練になることは確か。




親子で楽しむ学び方 LEARNING HOW TO LEARN


基礎からわかる勉強の技術



眠いからってやめてしまったら、それで終わり

眠い。

だからって、毎日やると決めたこと、
今日はいいやとか、
明日またやればいいやとか、
思ってやめてしまうのが、失敗の元。

なにが大事かって、
継続すること。

なにが起ころうと、
決めたことを続けてやる。

実際に身体を動かして、
決めたことをやる。

別に、無理なこと難しいことを
続けなきゃいけないわけじゃない。

簡単なこと。

例えば、トイレ掃除。
それを毎日5分やる。

別に難しいことじゃない。
5分の時間がとれないなんてことも
ないだろう。

やろうと思えばできること。

毎日続けようと決める。

で、これを100日続けられたら、
それは自信になるだろう。

いろんなことに気づくきっかけになるだろう。

続けられたら、
さらにできることを増やしていける。

よい循環がうまれる。

継続は力なりって、
ホントだわ。








256 勉強でのイライラを消す方法

算数で、リットルとかデシリットルとか、
いろいろ単位がでてきます。

単位を1.2リットルは何デシリットルか?
などといった問題をたくさん出されて、
イライラしていた女の子がいました。

あーめんどくさい。
しかめっ面をしてまゆをひそめています。

これはまさに勉強の壁のひとつ、
「実物がない」場合に起こる生理的現象。

その子は、ケーキ作りが好きなことを知っていました。

それで、聞いてみました。

いつもケーキ作るとき、
牛乳はどのくらい使うの?

  1カップです。

1カップってどのくらいの量なの?

  知りません。

じゃあ、ちょっとカップ見てみようか?

  200ccって書いてあります。

それはリットルで言うと、どういうことになるかな?

  0.2リットルでこれが2デシリットルだ!

頭の中だけで、無理矢理計算していた単なる数字と
ただの考えだけでしかなかった単位が、
彼女の中で、実際に普段使っている物と結びつきました。

その結果しかめっ面がなくなり、
イライラが消えて、
単位やそれに関する数字に
興味を持てるようになったのでした。




親子で楽しむ学び方 LEARNING HOW TO LEARN

われわれ日本人にとっては想像をはるかに超えた驚愕の組み合わせなのではないか?

いちごとキウイミックスジュース

まず第一に、われわれ一般的な日本人の頭の中には、
いちご自体のジュース、
もしくは、キウイ自体のジュースなるものは存在しない。
まあ、牛乳とかヨーグルト等の乳飲料に混ぜられた形のものはあるかもしれないが、
果汁を絞ったものだけの飲料は存在しない。

妻の親戚がいちご農家で、
冬に実家におじゃますると、
大量のいちごが箱に入っておいてある。
彼女たちにとっては、いちごが大量にある状態が日常で、
いちごに価値がほとんどなく、いちごインフレ状態。

わたしと、3人の息子は、一般人なので、
いちごは日常的に食べられるものではなく、
とても価値がある果物。

というわけで、
食べたいんならご自由どうぞという大きな箱に大量に入ったいちごを、
冬には、もうそれで腹がパンパンになるくらいいただく。

それくらいいちごは好き。

キウイも好きだなあ。
よくまるごと一個皮向いて食べる。
酸味と種のプチプチ感がいいですね。

どちらも好きで身近な果物だけど、
まずジュースにするというコンセプトがない。
さらに、それを組み合わせるとは・・・
恐れ入りました。

キウイの酸味がベースになって、
いちごの甘みがひろがります。








仕事が遅い人の特徴、おそうじ編

そりゃあねえ、きりないですよ。
完璧に仕上げようと思ったら。
そこら中にあるもの、完全に整理し尽くそうとしたら。

一生かけてやってていいのであれば、
そうじにおいて完璧さを追求するのも
楽しい時間の潰し方にはなるかもしれません。

実際は時間も限られているわけで、
使える時間も様々。

そうじにおいてどの程度の質を目指して実行するか。
前もって、はっきりさせておくことが必要ですねえ。

お客さんが来るのか、
今日一日、仕事を進めるのに、
気分よく、注意をそらされることなく、
集中できるようにするためなのか、
一年の終わりに、来年に向けて、
徹底的にやるのか、
などなど。

理想を追求し始めると、
いつまでたっても完了しません。

頭で考えることと、目の前の現実。
まず、ほとんどの場合、
目の前の現実のほうが、
おとっているように見えてしまいます。
だから、できていないと思い込み、
もっとやらなくてはいけない。
自分はできていない。
などなどと、思い込みがち。

必要な質の程度はどこなのか?
なんなのか?

それを決めた上で、目の前の現実を
それに合わせて動かす。

そうすれば、延々と理想を追求して時間を費やしてしまう罠から
抜け出せます。


勉強ってなんですか?

  勉強って、なんですか?

と聞いたら、

  覚えることです。

という回答。

それでは、頭の中に役にたたないがらくたを
大量に詰め込むことになりそうです。

どこかに書いてあることを、
ひたすら覚えることは
テストのためにはいいかもしれませんが、
生活や仕事のためには、
なんの足しにもなりません。

役に立てるための勉強をしたくありませんか?

メルマガ
「勉強ができないのはやり方を知らないからだ!248号」
配信しました。



悪臭の消し方。抑え方ではなく。

くさいにおい。
精神的にも参ります。

人の体から発せられるもの、
なにかが腐っていたり、人目につかないところ、人の手が届かないところで、
ゴミや泥がたまっていたり。

原因はいろいろ考えられます。

まずは、掃除する。洗う。
それで消えればいいのですが、そう簡単には行かない場合があります。

よく使われるのは、芳香剤。

トイレにおいてありますね。

匂いに対して別の匂いで対抗する。

まあ、くさいよりはましなのかもしれませんが、
そこの空間は芳香剤という化学物質で汚染されていることになります。

私は芳香剤のにおいが苦手です。

消臭剤なんてものもあります。

これも化学物質で、
においの物質に変化を起こして、
においがしないようにします。

これも、結局は、化学物質。
何かがそこに残っています。
ぼんやりした感じがしますねえ。


EM菌(有用微生物群)というものがあります。
水にほんの数滴入れて、においがあるところに霧吹きでまきます。

たばこの臭いが残ってる部屋、
人の汗臭さ、汗臭くなってしまっている服、
剣道の防具等々に対して、
霧吹きで、EM菌を薄めた液をふきかけます。

すると、あっという間に、においが消えます。

においでもやもやした感じになっていた部屋。

霧吹きで吹きかけると、においが消えます。

他のにおいで抑えこまれるのではなく、消えるんです。

すっきりしたなにもない空間が目の前に広がります。


津波の後水が残って、悪臭が発生していた気仙沼でも大活躍でした。