リベリア内戦を彼はどうやって生き延びたか?

内戦下を生き延び、
破壊し尽くされた西アフリカの国リベリアに、
秩序をもたらそうと努力している人の話を聞いた。

内戦とはどういうことなのか、
言葉では聞いたこと、読んだことはある。
それが現実にどんな状況なのか。
想像したことはなかった。




ある朝起きてみると、
外では銃撃戦が始まっていた。
外に出ることができない。
結局、2週間部屋の中でじっとしていなくてはならなかった。

ここを逃げだそうと、
国境に向かおうと、家族で歩き続ける。

その間、大通りを、トラックが往復する。
荷台にのせた機関銃から周囲に向けて乱射されつづけている。

即、伏せてじっとしていないと撃たれて死ぬ。
トラックが通り過ぎたら、茂みに隠れ、
また伏せているが、蛇やその他の野生動物が、
身体の上を通り過ぎていく。

国境の検問所、12歳の将校がそこを支配している。
内戦下の無秩序状態で、地位がどのように決まるのか。

軍歴が長いとか、功績をあげたとか、
そういうことではない。

どれだけ残虐にたくさんの人を殺したか。
それで決まる。

12歳の将校が、そこでなにをしたのか。
彼が将校であるということは、どういうことなのか?

当時9歳だった彼がみせられたこと。

大きい女性と小さい女性の二人。

大きい女性の皮を背中からはいでいく。
ぜんぶはいで一枚になった皮を
小さい女性の背中に縫い付ける。

当然、二人とも死ぬ。

将校と誰かが、賭をする。
前にいる妊婦のお腹のなかにいる子供は、
男か女か。

腹を切り裂き胎児を取り出す。
どちらが賭に勝ったのかはわからない。
その後、胎児を使ってサッカー。
当然その女性は死んだ。


そんな状況を彼はどうやって生き延びたのか?

国境の検問所で、家族ごとに一列に並ばされる。
ひとりづつ検問を受け、質問の答えを間違うと家族全員が殺される。

元々は他の国の大統領の名前をもらって、父親がつけた彼の名前。
その名前が敵の部族を表していることに気づいた父。
話すことは禁止されていたが、
後ろから彼を蹴って呼びかける。


 名前を変えろ。

 は???

 名前を変えろ。おまえの名前は敵の部族を表している。
 自分で名前を決めろ。


それで、彼は生きて今の名前を名乗っている。



船にのってガーナに行けば、助かるという話を聞いた。
家族で港に向かう。
船は来ない。
何日も待つ。
船着き場には人がぎっしり。
そしてそこが攻撃されるという噂がたつ。

その場が騒然とするなか、
船が到着する。
人が、殺到して、その重みで船に乗り込むためのはしごが壊れる。

海に大勢が落下し
港から船に乗り込む手段がなくなる。

彼は、家族とはぐれてしまう。

そこで泣いていたら、
二人の男に声をかけられる。

  おまえにはふたつの選択肢がある。
  ここに残って、反乱軍にさらわれて、兵士になるか、
  船に乗り込んで、わずかに残るチャンスをつかむか。

  船に乗りたいんだったら、おまえが持っている
  リュックサックをよこせ。

リュックの中には、食料と油が入っていた。
9歳の男の子だった彼は、殺されるとかさらわれるとかよりも何よりも、
リュックを渡すことで母親に叱られることが怖かった。

それでもリュックを渡したら、
一人の男が、両腕をつかみ、
もう一人の男が、両足をつかんだ。

どうする気だ?

その数秒後、彼は空中を飛びながら空を見ていた。

そこは、騒々しい場所だったが、
静かな静かな時間だった。

数秒が長い長い時間だった。

船は波にゆられて前後に動いている。




彼は生き延び、その後、手に入れた本
「ダイアネティックス」

9歳の時に見せられたこと、
数え切れないショックや心の傷を
ダイアネティックスの技術で消去し、
内戦終結後の破壊尽くされた国に戻り、
秩序をもたらすために活動している。








そして、日本人の援助に対する感謝の気持ちを伝えに
日本にやってきてくれた。


なにがサンタさんよと責められた

仕事の合間に喫煙所で一服しながら同僚と雑談。


  昨日さあ、息子が、ちょっと話があるんだけどって
  改まった顔で言ってきたから、
  何かと思ったら、
  サンタさんってパパなんでしょう?
  って言われちゃったよ。


  あはは、かわいいじゃんか。


するとわきにいた女が突然、


  ひどい。わたしになにかうらみでもあるの?
  なにがサンタさんよ~


と言い残して走って部屋から出て行く。

目の前の灰皿には、
薄いピンク色の口紅がかすかについた
ひねり潰された吸い殻。

まだ煙がでている。


  え?

  おれなんか変なこと言ったっけ?

  ああ、彼女、子供ができなくて悩んでたんだっけ。





  だったら、たばこすってんじゃねえよ。



解説:

いろいろ努力しても子供ができない。
それは大きな問題だったりします。

で、どうするか?

犠牲者になって周りを責め続ける。

やけくそになって訳がわからなくなる。

などなど、様々な誤った対応をとってしまいがち。

いくら身体に注意を払って努力をしても、
なにも改善しなかったとしたら、
それは、身体をコントロールしている
心に問題がありそうです。

心とは過去の経験の記録の蓄積。

そして問題になるのは、
自分でコントロールできず、
逆に自分がコントロールされてしまうことになる、
痛みと無意識の経験の記録。

その過去の痛みと無意識を含む経験を取り除き、
本来の心の能力を取り戻すのが
ダイアネティックス。





ポテトチップスにサルサ

2年ぶりのフロリダ。
サルサ音楽は好きだけど
その言葉の由来になっているサルサってもの自体を食べたことがない。
そういえば前に友人が、
ポテトチップにサルサをつけて食べると
うまいって言っていた。
今回はそれを食べてみたい。

しかし、どこで手に入れたらいいんだ?

とホテルの近所のいろいろそろってる
雑貨店を見てみたりしたが、見つけられずにいた。

自分が未来を作っていくのだと、
なぜかだかはげしく思い知らされたあとに
ホテルの一階のカフェに入ったら、
全席にメキシカンな網かご。
その脇には小皿があって赤い物体が入っている。
かごのふたをあけると中にはポテトチップス。

これ食べていいの?

どうぞ食べて。
サービスよ。

ポテトチップスを赤い物体につけて食べる。
トマトベースで、酸っぱ辛い。
始めて食べるのだが、
なんだろう、
この腹の底からわきあがってくる
センチメンタルな感情は。

めちゃくちゃこれ好き。

なんか尋常でない好きさ加減。

これがサルサだった。
はじめて食べた気がしない。




昔挫折した「細雪」読んだ。

学生時代に挫折したことのひとつ。
それでずいぶん長い間、
やろうと思っていて実現できなかったこと。
長編小説「細雪」の読破。

毎日忙しい中、娯楽に時間を費やしている場合じゃねえ。
というわけで、長い間保留にしていた。

しかし、今回飛行機で十数時間の旅。
これまで飛行機で寝られた試しがないし、
なにか仕事するってったって集中できる環境じゃないし、
これはいい機会だと、細雪の電子書籍板を購入して、
ipadで読めるようにして持っていった。

電子書籍だと、白黒反転させて、
黒地に白い字で表示できるのがいい。
ipad自体の機能設定で色相を反転させて黒地に白い字を実現。
それだと、暗い中でも目が疲れずに読める。

なぜ、「細雪」か?

確か国語の教科書にのっていた「春琴抄」。
学生だった当時うわーこれものすげえ変態だ。
こんなん教科書にのせていいのかこれ?
とドキドキしながら読んだ。
それから、谷崎の小説を一通り読んだ。
大正時代の作品が、好きだった。
もう、とことんまで頭おかしいだろという世界が言葉で作られていた。

で、「細雪」に挑戦した。

読めなかった。
意味が分からなかった。
ちょっとだけ読んで挫折した。
今まで読んだ谷崎の作品と全然違う。

それから長いこと忘れていた。
小説を読むなんていう娯楽に時間を費やすことも、忘れていた。
本自体読めなくなってしまっていた。

その後、理解していない単語を辞書を使って調べる。
という習慣を身につけてから、
再び本が読めるようになり、
以前読みかけた本をもう一度読んで見たいと思っていた。

「細雪」もその一つ。

今回時間ができたので機上で読み終えることができた。
中途になっていたことを完了できたのはうれしい。

そこにあるひとつひとつの言葉を
理解する必要があるのはもちろんのこと、
その関西のその階級の文化、習慣、
そういうものがある。というその存在を知らなかったら、
理解できなくて当然だった。

子供だった自分が挫折したのはまあしょうがない
と今となっては思える。

で、ここまで密度濃く膨大な量の言葉で
関西の上流階級の文化、生活を緻密に丁寧に描いておきながら、
なななんなんだこのおちというか結末は、

へ?

怒りを通り越して笑った。


やっぱり頭おかしい。
でその頭おかしさを理解するために、
結構な教養が必要ってのが、またまたよい。

戦時下の言論統制で自由に物が書けない中、
不謹慎と言われてしまうような内容にはまったく見えない形で、
実はその裏にかなりの「不謹慎さ」が表現されている。

私にとって頭おかしいとは最大級のほめ言葉。






方程式なんて必要ないから。使わないし。

数学なんて使わないから!と主張する女性。

中学生の頃、別に方程式使わなくても解けるのになんで方程式使わなくちゃいけないのかって
質問したらうるさがれた。
いいからだまってやれ。
ごちゃごちゃいわずにやればいいんだ。
そんなことを聞いてくるやつは他にはいない。
とか言われて結局先生は質問に答えてはくれなかった。

それで何で方程式使わなくちゃいけないのかは分からないまま。そこで数学は勉強する必要ないって思った。



そんなことがあれば興味を失うのは当然。
学校の勉強には目的がぬけ落ちている。それで、本来のその科目や知識自体の目的ではなく、テストの点数だったり、その延長線上にあるよい学校にはいるという目的で代用する。

生徒の段階によっては、だまってやれ、いいからやれ。
ととにかくやらせることが必要な場合もある。

でも彼女はそういった段階ではない。
彼女は興味を持って、理解しようという意図を持っている。だから、それはなぜなのか?は説明すれば理解できるだけの頭はあるのだ。

しかし、そもそも教える側が、その教えていること自体なぜそれが必要なのか、やる必要があるのか目的を持たせることをしないし、できない。

その代わりにテストの点数を上げよい成績をとるという目的でごまかす。

方程式には目的があるのだ。
それを使うことによって、
様々に違って見える事柄が、方程式を使うことで、共通の形をしていることが分かり、答えを出すのがより簡単になる

それを、彼女が興味があったり好きな分野にからめて、説明してあげられたらよかったのに。





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