隅田川とスカイツリー
勉強が嫌い!
だれそれが嫌い!
なになにが嫌い!
わざわざ嫌いになる必要はないのに、
わざわざ努力して、その何かを遠ざけようと
一生懸命になっている人がときどきいます。
嫌いだ嫌いだ!!
って、
遠ざけようと努力すればするほど、
それから離れられなくなります。
一生懸命、その嫌いな何かだったり、
誰かだったりに注意を向けて
考え続けてしまうことになりがち。
で、そこからさらに、
嫌いなものが徐々に増えていきます。
興味がないなら
ないだけで、
ほっとけばいいのに。
それよりも、何か好きなもの、
好きな科目、好きな人、
を見つけて、それに注意を向けて関わっていけば、
好きなものが広がっていきます。
何かを好きになるには、
その対象になる「もの」が必要です。
たとえば歴史の勉強、
年号を暗記したりします。
そんなただ暗記するだけの数字に意味がないことは、
本当はよくわかっています。
でも、テスト対策で、無理矢理語呂合わせで
覚えたりしがち。
それで、歴史が苦手になって、
嫌いになってしまったとしたら、
なんのための勉強なのでしょうか?
そんなことで、よっぽど変わった人でない限り
歴史を好きになれるとは思えません。
必要なのは、そのときどんな状況、問題があって、
誰が、なにをしたのか?
その結果どうなったのか?
たとえば、歴史マンガとか歴史ドラマ。
その時代の「もの」、
衣装やら格好やら武器やら家やら
があって、
その中で、誰がなにをしたのか、
で、どうなったのか、
知ることができます。
そこでは、
興味を持てて、好きになれるかもしれない
「もの」を見ることができます。
そして、何かの状況があり、
その中で誰が何をしたのか?
で、どうなったのか、
興味をもって知ることができれば、
それがいつ起こったことなのかは、
自然と頭に入っているかもしれませんね。
親子で楽しむ学び方 LEARNING HOW TO LEARN
基礎からわかる勉強の技術
月別: 2012年3月
春分の日、熱帯植物館から荒川河川敷
260 勉強しようと思うけど座っていられない。
よーい、ドン!
質問をいただきました。
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勉強をしようと思っても、座っていられません。
一度座っても、すぐに立ち上がって
別のことをはじめてしまいます。
そういう癖が身についてしまっていて、
勉強に手がつきません。
どうしたらいいのでしょうか?
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わたしは、若いころ、ビルの窓ふき職人をやっていました。
高層ビルの窓ガラスも洗います。
25階建てのビル、50階建てのビル、などなど
のガラスをゴンドラに乗って、
上から洗っていきます。
下を見ると、歩いている人は点にしか見えません。
風が吹くとゴンドラは揺れます。
洗わなければならないガラスは膨大な量あります。
だからゴンドラに乗っている間は、
ひたすらガラスを洗います。
で、わたしが高層ビルの窓ふきの話をすると、
聞かれます。
こわくないんですか?
こわくないです。
新しくアルバイト君がやってきます。
サーファーだそうで、体力はありそうです。
彼を屋上に連れていきます。
ゴンドラの準備をして、
わたしが先に乗り込みます。
彼は、足がガクガクしています。
見て分かりました。
おっかないです。
いいからのれ!
3日目くらいから、
彼は、ふつうに何の苦もなく、ゴンドラに乗り込んで
作業を進められるようになりました。
高いところがこわいという人がいます。
こわがっていたら、作業できません。
仕事になりません。
だから、楽に自然にいられるようになるしかありません。
「勉強の技術」を開発した、L.ロン・ハバード氏の言葉に、
「コンフロント」というのがあります。
ただし、ふつうの英和辞典にあるような定義とは少し違います。
confront,コンフロント:
直面すること、楽にそこにいて知覚すること
目隠しして、下を見えないようにしたら、
怖くないかもしれません。
薬を飲んで、神経を麻痺させたり、
気持ちをたかぶらせたりしたら、
怖くないかもしれません。
でも、その状態は、
コンフロントしているとはいえません。
わたしは以前、
「勉強の技術」のトレーニングを徹底的に受けました。
そこで一番最初にやったのが、
文書を前にして、楽に座っていられるようにする
コンフロントするということです。
文書を目の前にして、2時間以上座っていました。
そんなアホな!?
と当時、少しだけ思いました。
でも今考えると、これは
勉強する上での土台になるものです。
基本中の基本。
もっとも初歩の段階。
机に向かって座っていられる。
これができないと勉強できません。
座っていられないのであれば、
座っていられるように、
訓練するしかありませんね。
親子で楽しむ学び方 LEARNING HOW TO LEARN
基礎からわかる勉強の技術
ていうか、学校教育は、ひたすら与えられる情報を 受け入れるだけの従順な人を育てることが目的だった。
土手ですべる。
教育において目的が見失われている。
ていうか、学校教育は、ひたすら与えられる情報を
受け入れるだけの従順な人を育てることが目的だった。
と考えると、これまでの学校教育が何だったのか、理解できる。
与えられたカリキュラムがあり、
それに従って必ず答えがある問題を与えられ、
あらかじめ用意されている期待されたことを答えられれば、
優秀だということになる。
ひたすら言われたことだけをする。
正解は1つだけ必ずあるという学校教育。
この仕組は、もう終わりにしてもいいのではないか?
今の時代、上から与えられたことをただこなすだけの人が、
大量に必要か?
逆に、ただ上から与えられたことをこなせるだけの人に、
未来はあるか?
現実の生活や仕事では、様々な膨大な量の要素が絡み合う。
その状況を把握し、どうするのが良いのか判断し、
行動していく。
それがうまくいくときもあるし、うまくいかないこともある。
何が正解なのかは、状況によって変わってくるし、
人によっても変わってくる。
いくつも選択肢が考えられて、様々な要素を考慮に入れた上で、
最善の手を打つ。
うまくいかなかったら、またどうすればいいのか見つけたり考えたりして、
再度実行してみる。
必要なのは、一人一人の人が、
周囲の人たちと協調しつつも、
自分で判断して、その人の責任で新しい仕事を生み出せたり、
改善できたり、続けていけるってことなのでは?
教育において目的が知らされていない。例えば数学について
指だぞ!指!指ぐらいにしとけ!
教育において目的が知らされていない。
どの科目でも言えるが、
例えば数学について。
数字は、何かの量を表す。
何かの量をどこからどのように見て、把握して、扱うのか?
それが数学。
「計算」はあくまでも補助的なテクニック。
テクニックを身につける必要はあるが、
それは、何かの量を把握するという目的を達成するための手段である。
目的を知らないまま、手段だけみにつけても、
何の役にも立たない。
計算がいくらできたところで、
それが何かの量を表したり、把握したり、扱ったり
他の量と比較してみたりといったことを知らなければ、
何の役にも立たない。
二次方程式が、仕事や生活の上で何の役に立つんですか?
っていう質問は、それが、あくまでも単なる計算で、
目的を達成するための補助的な手段であるということを
知らないことからくる。
しかし、学校のカリキュラムにおいて、
数学の目的を教えられることはない。
ひたすら、目的を知らされないまま、
補助的なテクニックを身につけさせられることになる。
それじゃあ、面白くないし楽しくなりようがない。
数学の目的は、論理的とか数学的思考力を身につけるとか、
よく聞くが、その何とか的思考力がいったい何なのか、
明確に定義付けされることもない。
何かの量を把握して扱う。
これを目的にすることで、
使って役立たせられる実用的な数学のカリキュラムができるのではないか?
学校の勉強は役に立たない?
ザリガニ釣りにはまだ時期が早すぎた
それは、その通りなのでしょう。
学校の勉強は生活の役に立たない。
でも、やらなくてはいけないことになっている。
役に立たないからやらなくていい。
ということにはならない。
学校の勉強ができて、テストで良い点数をとれて、
学校の成績がよかったとしても、
それだけでは、生きていくことはできない。
学校の勉強ができて、成績が良かったとしても、
社会の中で仕事ができるという保証にはならない。
それは、その通りですね。
じゃあ、どうしたらいいのでしょうか?
学校の勉強は役に立たないと考えている限り、
それは役に立つものにはなりません。
その知識を経験を日常生活に、仕事に、趣味に、遊びにどう役に立てるのか?
それを考えてみてはいかがでしょうか?
公園で修行
英語は日本語ではない 4 実践編
英語上達は特に目的ではなかった。
しかし、2ヶ月のフロリダ滞在で、
周囲に日本人はわずかで、
どうしたって意志を伝える必要があり、
英語を使うしかない。
で、最初のうちは、自分が話すと
はあ!??
という顔をされていたが、
英語は主語+動詞だ!
を意識した。
あと、質問だったら語尾上げとけば質問だと通じる
と分かった。
気がついたら、
あんたの英語上達したねえ
と言われるようになる。
なんとかなるもんだ。
机に向かって英語を勉強するのと、
実際のコミュニケーションの場でその瞬間瞬間に
相手の考えを理解し、こちらの考えを伝えるのに
英語を使う行為は、かなり距離があることを感じた。
あと、rの発音、意識して思いっきりやらないと通じない。
「word」 は「ワード」
と日本語のひらがなの発音で言ってしまいがちだったが、
それだと全く通じない。
?という顔をされる。
日本語にはない「r」の発音の重要性に気づかされた。
日本語と英語は違う。
英語リーディング教本―基本からわかる