その夢は実現しねえよ

20140429

夢をあきらめて
と言いたいわけではない。

目の前の現実から逃げるために、
突拍子もないことを夢に見てるんだったら、
それは実現しない。

宝くじには当たらないし、
年収1千万円超えの男性と結婚なんてことも
ありえない。

いきなりオリンピックには出られないし、
練習なしで金メダルはとれない。


目の前の現実と状況。
そして何が実現可能なのか?

その達成したいゴールに向けて、
どれだけのエネルギーを投入する必要があるのか?
具体的に何をしたらいいのか?

考えてそして実行していく。

現状から逃げたいがために夢を見ている人は、

実際、実現している人は何をしているのか?
が見えていない。

だから当然その夢が実現することはない。

まずは目の前の現実を見てくれ。


方程式なんて必要ないから。使わないし。

数学なんて使わないから!と主張する女性。

中学生の頃、別に方程式使わなくても解けるのになんで方程式使わなくちゃいけないのかって
質問したらうるさがれた。
いいからだまってやれ。
ごちゃごちゃいわずにやればいいんだ。
そんなことを聞いてくるやつは他にはいない。
とか言われて結局先生は質問に答えてはくれなかった。

それで何で方程式使わなくちゃいけないのかは分からないまま。そこで数学は勉強する必要ないって思った。



そんなことがあれば興味を失うのは当然。
学校の勉強には目的がぬけ落ちている。それで、本来のその科目や知識自体の目的ではなく、テストの点数だったり、その延長線上にあるよい学校にはいるという目的で代用する。

生徒の段階によっては、だまってやれ、いいからやれ。
ととにかくやらせることが必要な場合もある。

でも彼女はそういった段階ではない。
彼女は興味を持って、理解しようという意図を持っている。だから、それはなぜなのか?は説明すれば理解できるだけの頭はあるのだ。

しかし、そもそも教える側が、その教えていること自体なぜそれが必要なのか、やる必要があるのか目的を持たせることをしないし、できない。

その代わりにテストの点数を上げよい成績をとるという目的でごまかす。

方程式には目的があるのだ。
それを使うことによって、
様々に違って見える事柄が、方程式を使うことで、共通の形をしていることが分かり、答えを出すのがより簡単になる

それを、彼女が興味があったり好きな分野にからめて、説明してあげられたらよかったのに。





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基礎からわかる勉強の技術


enchantMOONで小学生がプログラミング

息子が通っている小学校のパソコンクラブ。
聞くと、毎回ネット見ているだけ。
ユーチューブ1時間見て帰ってくる。

使い方を覚えるのは、まあいいのだが、
ネット見るだけ。

それじゃあ、ただ受け身になる一方。

親としてはなにかを作る道具として、
パソコンを扱えるようになってほしい。

その方が、面白いだろうし、
この先できることが広がっていくはず。

では、なにをどうやって作るのか?

エクセルとかワードとか、
まあ使えるに越したことはない。

でも、それはコンピュータのごくごく限られた一部の用途。
まあ大人になってからでも遅くはない。

というわけでenchantMOON買った。
なんかやりたいんだったら、
自分でプログラムしろと言う不親切な
手書きタブレットコンピュータ。

手描きでメモを書いて、
あとから検索できたり、
ブロックを組み立てる要領で、
比較的簡単にプログラムを組めるとのこと。

キーボードなしでプログラムが組めるんだったら、
小学生でもできそうだ。

それで、もしペンの色を変えたいんだったら、
自分でプログラムを組んで
色を変えられるようにしろという不親切さ。

とにかく、今のコンピュータのように、
なんでもあれこれ至れり尽くせりで揃っている中で
与えられた機能を使いこなせというのではなく、
まず自分でプログラムを組んで
自分なりに使えるようにしろと、
カスタマイズしろという代物。

ますます面白い。

まあ、もともとはコンピュータは
自分でプログラムを作って動かすものだった。

ここ10数年の間にパソコンが普及して、
まあ、わたしも仕事や家庭で一般的な使い方をしているが、
コンピューターってこんなものだったっけ?
といううっすらとした疑問を感じていた。

そんな中で、このenchantMOONという
日本発のコンピュータの新しい形の提案。

応援しないわけにはいかない。


10歳の息子にペンギンを描かせて、
それを使ったゲームを作ってやる。

そうしたら、ゲームの設定をあれこれ変えることを覚え、
いじくり始める。

自分で描いたペンギンとイワシを使って
ゲームを作って遊んでいる。

プログラミングの面白さを伝えようという意図、
子供たちに届いてますよ。


moon







メキシコ湾原油流出事故後の伝えられない二次災害とその解決策とは?

メキシコ湾原油流出事故。

海底から原油が大量に流出し続け、海が大規模に汚染される。

その後のあまり知らされることのなかった、
さらなる人為的な二次災害。

流出原油を分解するという目的で、飛行機で広く散布され、
また海底の原油噴出弁や流出した油に直接吹きつけられた大量の石油分散剤。

それが毒物だと知らされたのは、
その被害が拡大してからの話。

実際どんな影響を引き起こしたのか?

漁船船長の女性。安全であるとされていた地域で漁にでて、網に何もかからないという異常事態。
状況の確認中に網をふった水が身体にかかる。
すぐにかゆみと炎症が発生。洗い流して、処置したが、
その後激しい頭痛と吐き気に襲われる。

24時間後に船長室の床で痙攣を起こして倒れる。

それから1年半、健康はさらに悪化し、
常に下痢、毛が抜け落ち、視覚、聴覚の低下、足は麻痺し感覚がなくなる。
歩くときには、足を引きずり転んでばかり。
何も覚えることができない。もうおしまいだと、世を去る決意をしていた。

増え続ける苦しむ患者達。
治療法を持たない医師。
できることは薬を与え、かろうじて痛みを和らげる程度。

医者によっては、妄想症だと精神薬を処方する。

根本的な解決にはなっていないどころか、状況は悪化するばかり。

そこで被害者達に提供された解毒プログラム。
最初の2週間、サウナで汗をかく最中に再現される様々な症状。
それが続ける中で、消えていく。

解消されていく様々な症状。
結局は、触れて体内に取り込んでしまった化学物質が原因で、
様々な症状を引き起こしていた。

体内に蓄積された危険な化学物質。
脂肪組織に取り込まれると、排出されず、そこに留まって悪影響を及ぼし続ける。

それを取り除くにはどうしたらいいのか?
そのプログラム詳細は「クリアーな身体、クリアーな心」で紹介されている。



どうやって彼らは宗教をあやしいものにしたのか?

宗教に対してどんな印象をお持ちでしょうか?
あやしいとか、操られているとか、
洗脳されるなどなど、反社会的でよくないもの。
こういった考えが広まる原因になったのが、
1990年代におけるオウム真理教の事件。

教祖の麻原の指示で、地下鉄に猛毒のサリンを撒くという無差別テロ。
坂本弁護士一家を誘拐し殺害。
上九一色村のオウム真理教の宗教施設と
そこにいたヘッドギアをつけた信者達の異様さ。

それ以来、新興宗教はカルトでマインドコントロールを行い、洗脳を行い、
人を操ろうとする危険で怪しいものということになった。

電気ショックを与え続け、薬物を大量に投与した状態で、
なんらかの言葉を繰り返し与え、
意識の深いところに命令を植え付け催眠術をかける。
このような彼らの行っていたマインドコントロールなる実践は、
誰がどうやってはじめたのか?

そのやり方はどこからきたものなのか?

幹部だった東大卒の精神科医が、
「拷問と医者―人間の心をもてあそぶ人々」 ゴードン トーマス著 吉本 晋一郎訳 朝日新聞社 1991/3
でレポートされているマインドコントロールの技術を信者に対して使った
と本人が裁判で証言している。

教祖と同じ精神状態になれるというヘッドギアも、結局は、ここから開発された道具。

さらには、教祖麻原の頭に触れたのは、彼だけ。
麻原は、彼の助言を常に求めていた。
麻原は、彼によってLSDを300回以上投与され、薬物中毒状態にあった。

もともとは、ヨガを通じて心身の状態を良くしようという試みだった。
それがどのように変質していったのか。
それは、その精神科医が入り込んで行ったこと。

宗教とは本来、精神的なものを扱う知識と実践の体系。
人が何らかのよい状態を目指すことが目的だったはず。

もしそれが反社会的なものに変質しているのなら、
実際のところ裏で誰が何をしているのか、
よく見てみる必要があるのではないだろうか?



1951年、史上はじめて、諜報活動の分野におけるマインドコントロールの実践を暴露した本



パワハラでもちもちピザ屋開店

【パワーハラスメント】

職場の権力(パワー)を利用した嫌がらせのことである。
略称は「パワハラ」。


■1.意味

職場において、地位や人間関係で弱い立場の労働者に対して、
精神的又は身体的な苦痛を与えることにより、
結果として労働者の働く権利を侵害し、職場環境を悪化させる行為


■2.使用例

社長のパワハラが苦痛だと感じていたが、
実は、それは私に対する嫌がらせじゃなくて、
店のためのマジな仕事の一部だった。


■3.状況:


社長におこられた。


  店の前でピザ持って踊れないって、ふざけんな。
  やれって言われたらやるんだよ。


  そんなの無茶苦茶です。


いつも相談に乗ってくれる山本さんに、
社長のやってることは、パワハラだと訴えたら、
社長が何でピザ屋をやっているのか聞かせてくれた。


・・・・・・


社長の学生時代は、柔道部員。
先輩からの命令は絶対だ。


  ペプシキャベツ3本、グリーン商店で買ってこい。


  はい、よろこんで。


グリーン商会までダッシュ。


  ペプシキャベツ3本ください!


  ごめんね~、うち置いてないの。


おばちゃんに言われ、
ダッシュで戻り、
先輩に報告する。



  グリーン商会にペプシキャベツは置いてないそうです!




グリーン商会まで行かずに戻って、


  ペプシにキャベツ味なんてありません。


と言った部員は、

おまえグリーン商会まで行ってないだろ。
先輩の命令を実行できないってのは、
どういうことだ?

と責められることになる。

こういったことの繰り返しで、
先輩からの命令は絶対だと叩きこまれる。




社長が社会人になってから、
ある時、久しぶりに先輩から
電話がかかってきたんだそうだ。


  おれのマンションの1Fが空いてるから、
  ピザ屋やってくれ。


それで勤めていた会社辞めて、
開いたのがここ。

別に料理人ってわけでも、
グルメってわけでもなかったのになあ。



・・・・・・・



え???
社長は、先輩に電話でピザ屋やってと言われたってだけで、
知る人ぞ知る石窯焼き有機素材使用のカリッともちもちピザの店、
開いちゃったんですか?



  そうだよ。



ピザが好きだとか、店を持ちたいとか
そういうことではなかったんですか?



  ピザが好きなのは、社長じゃなくて社長の先輩。
  社長は、前は保険屋の
  セールスマンだったんだからなあ。

  それ考えたら、店の前で踊るぐらいどってことないだろ?



は、はあ。





■4.解説:


周囲で起こる様々な出来事。

人によって、対応の仕方が違います。

犠牲者になって周りを責め続ける人。

無気力になって引きこもる人。

困難な状況だろうがなんだろうが、
うまく行かせるために行動し成功する人。

様々な種類の人がいます。

その違いはどこから来るのでしょうか?

そしてどうしたら、
人生をより幸せに生きることができるのでしょうか?

書籍「ダイアネティックス」に答えがあります。


ダイアネティックス 心の健康のための現代科学

犬も歩けばがどうしたってんだ

ていうか、さっさとやってくれ。
なんでもいいから。
動いて結果が出れば、思考も変わる。

考えてばかりでは、
いまの止まっている状態がさらに強化されていくだけ。

できないんだったら、
段階を下げてできることから取り組めばいい。

確実にできるってことからはじめればいい。

テーブルの上を片付けようって決めて、
実際片付けた。
きれいになったテーブル。

それはひとつの結果だ。
決めたことができているじゃんか。

いま必要なのは、考えることじゃなくてやること、動くこと。

動けばそりゃあいろいろあるさ。

いろんなことを言ってくる人がいる。

そんなのうまくいかないとか、
なにくだらないことやってんのとか。

気にするな。

相手にするな。

それは、前に進んでるってこと。

何もしなければ、
何も言われない。

走ろうとすると、
空気が邪魔する。

スピードを上げると、
空気抵抗が増える。

ただ単に位置を変えるために前に進む場合だって、
空気が止めようとする。

だからっつって、
空気が止めようとするからって、
止まらないよなあ。

動けば必ず止めようとするものがでてくる。

気にするな。

進み続けよう。







危険なドラッグに手を出してしまう理由

生きていく上で最も大切なもの。

自分で見て、聞いて、知覚して、自分で考えられる能力。

薬物、ドラッグは、その一番大事なものを、破壊する。

危険なドラッグに手を出してしまうのは、無知が原因。

だから、それがなにで、どんな影響を引き起こすのか、事実を伝えていけばいい。
そんな活動をフランスで長年続けている方の話を聞いた。

フランスのマルセイユ、港町で有名だか、薬物の蔓延が問題になっていた。
警察も、売人の元締めどグルになっていて、頼りにならないというか、
妨害されるところからスタート。

20年間なかったこと、フランスにおける十代のマリファナ使用率が25%下がった。
この一人の人物からはじまる活動、
薬物に対する無知をなくすための長年に渡る活動が結果を出している。


ミッキーって何人いるの?ってそれはおかしい

ディズニーランドの中にミッキーって何人いるの?


ええ?
なんだって?
質問の意味がよくわからないんだけど。

何人って、おかしいだろ。
別に、おれはランドとかミッキーに思い入れは
まったくないんだけど、
その質問はちょっとひくわ。

村田拓っていう人が
何人いるのかって聞いてるのと同じなんだよ。

おれはおれだし、
ミッキーはミッキーなんだよ。

ミッキーが何人もいるわけがないだろ!

どの面下げて、ディズニーランド大好き!
ミッキー大好き!!
って言ってるんだ。

好きだったらなあ、
子供の前で、そんな質問するんじゃない。

ディズニーランド好きなら、
ディズニーランド好きとしての
責任っていうものがある。

知るべきことは知っといて欲しい。






別にラーメンが好きな訳じゃなく

わたしは、別に、ラーメンが好きなわけではなく、
とんかつが好きなわけでもない。

好きなのは、
介一家のラーメン油多め。
ふく屋のロースカツ定食。
キャベツ、ご飯おかわり自由。
昔から変わらない味と肉厚。

あなたは、別にスマホが欲しかったわけではなく、
iphoneが欲しかったんだよねえ。

スタバで、ノートパソコンじゃなくて、
Mac Book Airを使ってるのがステキなわけだ。。
ウルトラブックじゃダメ。

あとなあ、女が好きな訳じゃなくて
ゆみこが好きなんじゃねえのかい。






 iTunes Store(Japan)


じゃあ、脳を使っているのは何か?

脳にちゃんと血液が回って、
酸素が行き渡ってと、
モノとして、きちんと機能するように、
ある程度の配慮をする必要はある。

ただ、その脳を使っているのは何か?

脳はコンピュータに例えられる。
コンピュータは、計算する。
コンピュータがそれ自体で勝手に計算を始めることはない。

何が、誰が、コンピュータを使っているのか?

誰が、計算のためにデータを入力するのか、
そこから何らかの答えを引き出そうとしているのは、
何か?

脳を、身体を使っているのは、
あなただ。

脳があなたなのではない。

脳は脳だ。

一冊の本。
これは、モノとしては、紙の束で、
一枚一枚のページには、
字が印刷してある。

人間を研究するのに、脳を一生懸命調べるってのは、
本をインクの色だとか、紙質だとか、
ページの量だとかだけを見ているっていうこと。

本において、肝心なのは、そこに書いてある内容。
モノとしての本にどれだけ着目したところで、
その本の内容を知ることはできない。




 iTunes Store(Japan)


マギーブイヨンじゃしかたない

  なんだその偉そうな態度は?
  今日は一日中、ごろごろしてなんもやってないだろ。
  お手伝いとか、うちのこと。

  そんなんで、デザートは?

  って言ったってなあ、でてこないぞ。


息子をしかっていました。
したら、ママが


  そうだよ。
  あとね。もうひどいの。

  マギーブイヨン、ひとかけ食べて、
  ゴミ箱に捨ててんのよ。

  もう信じらんない。


聞いてみました。


  うまかったか?


  まずかった。


まあ、マギーブイヨンは仕方ない。
誰でも成長の過程で一度は通る道なのではないか?

おかしっぽい四角い包み。
見た感じおいしそう。

私も小さいときこっそりかじって、
母におこられた。











「勉強」ってなんですか?

「勉強」ってなんですか?

  覚えることです。
  おばあちゃんがそう言ってました。

ある中学生。

まあ、覚えることも必要なんだけど、
それが勉強のすべてではありません。

テスト勉強ばっかりやってると、
覚えることが勉強ってことになってしまうのも、
よくわかります。

じゃあ、「勉強」って何でしょう?

何かを知って、実際にできるようになること。
なにかのやり方を知ってできるようになること。

いろんなこと知っているだけでは、
役に立ちません。




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基礎からわかる勉強の技術


ADHDってただのレッテル

多動って、子どもがたくさん動くのは当たり前。
それを病気扱いするのは、
誰がなにを目的にしてやっているのか、
よくよく見てみたほうがいい。

人を病気扱いできると、だれが得をするのか?

少なくとも20年前はそんな言葉なかっただろう。
それが、なんで今になってこんなに普及しているのか、

それで、悩んでいるお母さまがた、
診断が下されることを恐れるお母さまがこんなにも増えているのか?

1歳半健診で、多動だとか、ADHDとかなんとか障碍だとか、
アホか。

なんて余裕がないんだ。

医者だから、権威があるからって、
その言葉をうのみにするべきではない。

病気にできれば、薬が売れる。

オランダでは、子どもに対する、ADHDのレッテル貼りは、
非合法になったそうだ。

それも子どもに対する薬漬けが大問題になったからだ。
1歳とか、2歳とかのこどもに
精神薬を与える方が狂ってるだろ。
そんな当たり前のことに気づけよ。
騙されてるんじゃない。










根拠なく思い込めるのが強み

絶対できるようになる。
絶対大丈夫。

絶対わかる。


私の、目の前の人に対する思い込み。

根拠はない。

でも、自分の前に座っている人は、
絶対に、わかるようになるのだ。

これがベースにあるので、
わたしは、理解をもたらすことができる。


すーがくができない。

えーごがわからない。

これがわからない。
何がわからないかもわからない。


いろんな問題を持ち込まれる。
でも、一つ一つ解きほぐしていって、
わからない単語、誤解している単語を潰していく。

それで、


なんだそういうことだったのか。

わかった!


となるまで持っていく。

わたしは、これができる。
でも、他の人は、自分ほどうまくできない場合があるのが不思議だった。

目の前の人物に対して、相手のために100%の思い込みができるかどうか?

それが違いだったようだ。









長い間ひどい状態だと、自分がひどい状態にいることがわからない

ここ数日、だいぶ冷えるようになってきたのもあってか、
エンジンかけてもすぐ止まるようになってしまった。

それで先週末、行きつけのバイク屋さんに修理に出した。

修理が終わったと連絡をもらい、取りに行く。

夜、9時過ぎだというのに、店が開いているのがありがたい。

なおったスクーターに乗ってみると、あれ?!すんごい快適。

最近ずっとキックしてエンジンスタートさせてたが、
その必要はなくボタンを押せば一発でエンジンがかかる。

アクセル回すとスムーズに回転が上がっていく。

調子が良くなって、はじめて、あちこち調子が悪かったことに気がついた。

調子が悪いのが普通の状態になってしまっていて、
それが本調子でないということがわからなかった。

ずっとひどい状態にいると、
その状態があたりまえになってしまう。

毎度毎度、何度もキックしてエンジンをかけていたが、
それについてなんとも思わず、それが当たり前になっていた。

それはどこかがおかしかったのだ。

本当に動かなくなってしまって、はじめて、修理に出した。

本来はどういう状態で、どのように機能するものなのか、
正常な状態はどういう状態なのか?

わかっていれば、もっと早く修理に出していただろう。

でもまあ、今回のことで違いがよくわかったので、
今度調子が悪くなったら気がつくはずだ。


勉強でも同じことが言える。

苦痛を感じながら、
いやいや勉強を何年も続けていると、
苦痛なのが勉強だと
勉強とはそういうものなのだと考えてしまうかもしれない。

わたしも学生の頃はそう考えていた。

勉強は、この眠気やら苦痛に耐えて一生懸命やる必要があるのだ。
とがんばろうとするが、結局眠気には勝てない。

でも本当は苦痛とか眠気に耐える必要はない。
苦痛を感じている時点で、何かがおかしいのだ。

必要なのは、耐えることではなく、
その原因を見つけ取り除くこと。

スムーズに勉強を進めて、どんどん加速していく気持ちよさを
ぜひぜひ多くの人に味わって欲しい。





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基礎からわかる勉強の技術


なになにが嫌いだなんて、別に理由にならん

仕事の上で、好きだからとかいうのは、
そんなに重要なことじゃねえよ。

でも、嫌いってのも、もっと理由にならんぞ。
あの人が、とか、この仕事、この科目、などなど
嫌いだからやらないって、
それはあくまで自分の都合だからな。

自分がやりたいことと、
人が求めていることが一致していたら、
それは幸せかもしれないが、
順序から行って、
自分がやりたいことやるには、
まずは、人が求めているものを提供する方が先だ。

嫌いだからとかいう、
自分の都合で、そうしないんだったら、
いつまでたっても、嫌いといって
それを、その人を、その科目を、その仕事を
などなどを
避け続ける人生。

せまいせまい領域からでることも、
広げることもなく、
同じことを繰り返し続けることになる。

そんな人生をぶちこわすために、
これを見るべし。








いいから、大丈夫だから、さっさとバイトでもなんでもしろ

  自分はどうすべきか?

  勉強に集中した方がいいのか?
  なんか働きながらでも、やった方がいいのか?

浪人生からよく聞かれる質問。

とにかく、バイトしろ。

別に浪人生に限らず、高校生だろうと、
もしできる環境にあるのであれば、
働くことをすすめる。

他の人達と協力してなにかを生産する、
仕事をするっていう経験。
生きていく上で必要なこと。

学校では教わらない。
勉強ばかりしていて、
勉強できるようになったとしても、
それがなかったら、社会の中で動けない。

今の教育の仕組みの中で、
勉強できて優秀だということになったとしても、
それは、その仕組みの中でだけの話で、
そもそも、目的やら仕組みが全く違う実際の社会の中でも、優秀かどうかは、また別の話。









英語を英語として学ぶことで、自分が使い続けてしみついている日本語がどうなっているのかがわかる

そこには違う世界がある。

日本語世界にどっぷりはまっていると、
はまっていることに気がつけない。

で、いくら英語を勉強していても、一生懸命訳して日本語に置き換えて、という作業を延々と続けている限り、
日本語世界から抜け出すことはできない。

なにがおもしろいかって、しっかりと身に付いてしまって、毎日毎日話して、聞いて、読んで書いている自分の言葉、日本語。
それが何でどんなものなのか?
英語と比べると、ほんの短い文章で、ものすごい量の意味をこめることができるとか、
逆に意味が多すぎて、英語ならYouひとつですむことも、
日本語だったら、省略したり、おまえ、あなた、貴様やらさらには、関西系だったら自分・・・といってyouをさしてしまう。

日本語は時と場合によって、使い分けが必要。
なんてややこしいことをしているんだ。
何のためにそんなことをしているのだ?

と気がついて考えることができる。

英語の側から日本語を見てみると、違いが浮かび上がってくる。








計算することが数学なのではない

パスがうまくなるようにと、ひたすらパス練習だけさせて、サッカーというゲームの存在を知らなかったら、どうなるでしょうか?

ボールを蹴って相手に渡す。
それだけで、まあ少しは楽しめるかもしれませんが、何のためにこれやってるんだ?
と疑問が浮かんでくるのではないでしょうか?

こんなことやっていても、役にたたない。
人生で、生活で仕事で、ボールを蹴ってあいてに渡す必要性なんかない。

こんなこといくらうまくなっても、役に立たない。

などなど。

まず、サッカーというゲームがあって、チームで協力して点をとって、点をとられるのを防いで、試合で勝ったり負けたりする。

それが面白いんですよね。

その面白さがあるから、もっと上手にプレーできるようになりたいと思って、パス練習といった地道な練習ができるようになるわけです。

中学や高校での数学、
生活や仕事で二次方程式使いませんよ、
こんな計算練習して何の役に立つんですかって、
そりゃ疑問に思うのはもっともです。

そもそも、それが何のためのものなのか、教えられたことがありません。

わたしも、数学を教えたりするくせして、
因数分解ができたからなんなんだって、
よくわかっていませんでした。

数学では、いろんな計算をします。
で、これがなんにつながるのか?
こんなこと勉強していったい何の役に立つのか?
というお決まりの疑問を持ちます。

私は、数学ができないわけではないし、
今だったら教えることもできます。
できるようにうまく導いていくこともできます。
実際、テストで7点などという、適当にやっても、
その点数はないだろという点をとっていた生徒さんが、
80点とるようになったりしています。

でもだからなんなのだ。
この「数学」ってのは、実際問題生活でも仕事でも使わないし、
何の役に立つんだ?

という疑問をずっと持ち続けていました。

そこで、辞書で「数学」の定義を調べてみました。

量と形を扱う学問
とあります。

計算については、一言も書いてありません。

あれ、そうだったの?

数学って、計算することじゃなかったのかよ?

おいおい、最初っからそう教えてくれよ。

という気分。

学校での数学の行き着く先の一つが、微積分。
これで、変化する量を扱うことができるようになります。

これに到達するために、そこまでやってきた計算やらなにやらが必要でした。

微積分に到達させるために、それまでの課程が用意されていたようです。

数学におけるサッカーの試合に当たる部分が、
もう少しで見えそう。

もしそれが見えたら、人にそれを伝えることで、
その勉強がもっと意味のあるものにできるような予感。








議論に勝ってもしょうがない

おまえは間違っていると言われる。
議論になって負かされる。

お母さんとか、
学校でクラスメイトから受ける仕打ち。

うざったいんすよ。

とある高校生がぐちをこぼしていました。

負かされたら気分が悪いのは、
よくわかります。

でも、議論に勝ってしまったら、
ちょっと、うれしいかもしれませんが、
ちょっと、優越感にひたれるのかもしれませんが、
それがなんになるんでしょう。

そもそもなにがしたいのか?

社会にでて、仕事をしてみないと
学生のままではわからないことがあります。

生きていくために、
給料とか、なにかの報酬を受け取るために、
なにかを生産し提供する必要があります。

誰かが必要としていること、
それを提供することで、
自分に必要なものが交換として手に入ります。

その生産物を提供する誰かは、
お客さんかもしれないし、
上司や同僚かもしれません。

新聞のセールスマン、社会人がなぜ新聞を読む必要があるのか、説得しようとします。
おっしゃることは正しいし、まったくその通り。

でも、説得されたら、負けたような気分になります。
それじゃあ、お金を払う気にはなれません。
少なくとも私は。

議論に勝つことは、あんまし、社会にでて、
仕事をする上で役にたちません。

それよりも、その議論をふっかけてくる誰かさんを、
いい気分にさせて、何かを買ってもらうには、
どうしたらいいか?
を考えてやってみるのが、
これから生きていく上でものすごく役に立つよーん。

それには、議論に勝ってしまったらアウトだな。







理想的なアスファルト

アスファルトに直接照らされる日差しと、
湿度の高さで、息が苦しくなるほどの重み。

そういった東京のくそ暑さが
見ただけで感じられるような写真がないかなと、
探すが、明るすぎてさわやかな写真ばかり。

しょうがない。

ないならどっかで撮ってみよう。

と、昨日考えていたことを思い出した。

動くと湿った空気が身体にあたりますます
不快な朝からくそ暑い晴れた朝。

目の前には理想的なアスファルト。

負かされる日が来るのは、楽しみだ。

いきなり角をとられた。

なんか、新しい手を覚えてきたようだ。
やばい、負ける。

しかし、ここで私が負けて、
彼の向上心を満足させてしまうわけにはいかない。




小学校3年生の息子が久しぶりに将棋しようと、
言ってきた。

前は、わたしが飛車と角をなしにして、
ハンデをつけてやっていた。
いつだったか、それだと私が必ず負けるくらいまで
上達した。

それで、ハンデなしの対等の勝負。
まだ息子は一度も私に勝ったことはないが、
先を読むことを覚え、
相手をひっかけることを覚え、
油断ができない相手になってきている。


昔、わたしが、今の息子くらいの年齢のころ、
将棋をやりかけた。

ある程度、将棋を分かっている人との勝負では、
必ず負ける。

どうやったら、勝てるようになれるのかが、
分からず興味を失った。

将棋はよく分からないまま、三十年たって、
息子がやりたいと言ってくるので、
相手をするようになった。

私の将棋は初心者レベル。

息子にとっては、強いんだろうけど、
勝てる見込みがまったくないわけではない
と感じられるレベル。

息子がいろいろ技を仕入れてきて、
仕掛けてくるので、
自分もなるほどそうするのかと、
学ぶことができる。

しかしまだ、相手の注意の行き届かない部分に
すぐに気がつき、そこを突くことができる。
それで、あまり技を知っているわけではないが、
いまのところ、勝負では勝てる。

まだ、甘い部分が目に付く。

この調子だと、それほど遠くない将来、
わたしが負ける日が来る。

その日が来るのは、楽しみだ。

でも、その楽しみはもう少しあとにとっておきたい。



264 自分で頭が悪いって言うな

学校では、授業があって、先生が説明して、
出された問題をやって、
とひたすら、与えられ続けます。

生徒の側からなにか発信することは、
受けることと比べたら、ごくわずか。

それで、バランスをとるために、
できることがあります。

生徒さんに、
教えたことが、どのように適用できるのか、
自分のまわりの環境にどのようにあてはまるのか、
例をあげさせる。

そうすることで、現実の生活で、
学んだことを実際に役に立てられるようにもなります。

これができないと、
頭の中は、役に立たないがらくたの固まりに。

しかし、例を挙げるのが、難しい人がいます。

しかめっつらをしながら、
うんうんうなって考えて、
で、しまいには、


  わたし頭悪いんです。
  すぐにでてこないんですよねえ。
  頭悪いから。


同情してほしいんでしょうか?
言い訳している間に、
やってみましょう。

必要なのは、練習です。
練習すればできるようになります。

なにをやるにも練習が必要です。

卵焼きを作るのにも、
自転車に乗るのも、
バスケでシュートを決めるのも、
最初からできる人はいません。
練習してできるようになります。

料理が下手だから、
運動神経が悪いから、
と言い訳していたら、
いつまでたってもできるようにはなりません。

練習が必要です。
とにかくやってみて、
うまくいかなかったら、
うまく行かせる手段はあります。

でも、やらなかったらどこにも行き着きません。







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基礎からわかる勉強の技術



262 歴史なんて勉強したって

ある中学生に言われました。


  歴史ってどうも好きになれないんです。
  過去を振り返って、どうしようっていうんですか?


さて、どう答えたもんでしょうか?

私も昔、中学生の頃、歴史については
無茶な正当化をしていました。


  誰も見た人はいないのに、
  なんで昔のことが分かるんだ。
  全部嘘かもしれないだろ。


などなど。

とにかく、勉強したくないという
気持ちはよくわかります。

歴史の教科書には、年号と人物名と出来事が
ずらずら書いてあります。

ただそれだけ読んでも、
何が面白いんだかよくわかりません。

テストがあるからと、
興味のない、人物名や年号やできごとをただ暗記するのは、
かなりの努力が必要でしょう。

それで、いくら頑張って覚えても、
覚えた知識を、テスト以外で役に立てることは
できません。

そんなことでは、歴史嫌いになってしまうのも、
無理はありません。

そもそも、歴史ってなんなんでしょうか?


以前、聞いてわたしが興味をもったできごとがあります。


イランとイラクで戦争が続いていました。
イラク上空を通過する飛行機は無条件で撃ち落とすという
表明が1985年にありました

外務省は日本の航空会社に対して、
現地イラクの日本人の救出を要請。
しかし帰路の安全が保証されていない
との理由で航空会社は救援機を派遣しない。

ではどうするか?
困難な状況に陥った現地の日本人。

そんな時に、トルコの航空会社が救援機を派遣。
撃ち落とされる可能性がある危険なフライト。
しかし、トルコは実際に日本人を助けてくれました。

なぜか?

それは、100年前にあった事件にさかのぼります。


その事件について詳しくは
下記のサイトで読めます。

こちら、話の内容も良いのですが、
信じられない方法で描かれた画が見ものです。
http://tana.pekori.to/tear/log/0412.html

国際派日本人養成講座、
エルトゥールル号事件のこと
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_2/jog102.html



このように、語り伝えられている過去のできごと。
どんな状況があって、その中で、
誰が何をしたのか?
それでどうなったのか?

それが歴史において興味深い部分です。

年号やら、人物名は、
そのできごとの流れが把握できて、
興味を持つことができれば、
覚えるのは簡単です。





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259 勉強は才能というよりやり方



  毎日、3時間勉強してるんだけど、
  成績があがりません。

  才能がないんでしょうか?


中学生で、毎日3時間も勉強ができる事自体、
十分才能のような気がします。

そんなに努力して、成績が上がらないとしたら、
才能がないとか、頭がよくないのではとか、
思ってしまうこともあるかもしれません。

ただ、この場合、明らかなのは、
やり方が間違っているということです。

よく見かけるのは、ひたすら覚えるのが勉強だと
思って、何から何まで暗記しようとすること。

それでは、学年が進むに連れて、
覚えなければならないことがどんどん増えていき、
どこかでパンクしてしまいます。

もちろん、英単語やら、元素記号やら、
覚える必要のあることはたくさんあるように見えるかもしれません。
でも、それも、何のために必要なのか理解した上で、
で、実際のものを見て対応させたり、
他の関連事項との関わりを踏まえれば、
ムリな丸暗記ではなく、
より興味をもって自然に覚えることができるでしょう。


例えば、この元素図鑑

世界で一番美しい元素図鑑


元素の実物を美しい写真で紹介しています。
見ていると引きこまれます。

マニアックな著者の解説も面白いので、
ムリに覚えようとしなくても、
自然に頭に入ってしまいます。

「ニオブ」という元素素材でできたロケットエンジンの部品を
手に入れたそうなんですが、
FBIがやってきて押収されてしまったんだそうです。

こんなエピソードを読んだら、
「ニオブ」っていつの間にか頭に入ってしまいませんか?



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254 言い訳無用



  アメリカに用はないから、英語を勉強する必要はない。


英語の勉強をしなくていい理由を
いろいろ言ってくる生徒さん。

それに対して、普通は反論して説得しようとしますよねえ。


英語は、世界共通語で就職するにも英語が必要になってくる。
日本でも社内でのコミュニケーションは英語でやる会社がある。
これから日本の中だけでは、仕事ができなくなるかもしれない。
インドがどうのこうで、
だから英語はやっといた方がいい。


などなど。

それに対して、またさらに
いろんな反論やら屁理屈が返ってきたりします。
あれこれ議論したり言い争いをしたりして、
勉強に戻すまでに、長い時間と労力がかかります。


  ごちゃごちゃ言ってないで、やれ!


とムリヤリ強制する場合もあるでしょう。

それで、なんとか、勉強を再開させられたとしても、
結局、本人のやる気は回復していません。


  なぜか?


本当の原因が見つけられてないからです。

どこかの時点まではあれこれ言わずに、
勉強を進めていた。

で、どこからか、あれこれ言い訳がでてきた。
ということは、
言い訳がでてくる前になにか理解していない言葉があります。

それを見つけ、調べさせて、
とやっていきます。

すると、さっきまでの反抗的な態度が消え、
静かに勉強に戻って行きました。

ゴチャゴチャ言わずに、
以前のように黙って勉強をすすめるようにできます。

何か知識を身につける上で、
議論したり言い争いする必要はありません。




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指導者の選び方

人に指導するときには、指導者が持っている技術や、様々な考えよりもまず、教えようとする相手を観察する能力が重要だ。観察した上ではじめて、相手がどの程度できるのか、できないのか、把握することができ、その上で適切な段階を設定することができる。

こうすれば、できるはずだ。という指導者自身の思いこみがある。説明して、やらせてみて、うまく行かない。そうしたときに、できていないという現状、相手が実際になにをしていて、どこまではできていて、どこからできていないのか、を観察する。そして、自分が持っている「こうすればできるはずだ」という考えを修正して、うまくできるように新たなことを試みてみる。その繰り返しで、指導者も教える側も成長していくことができる。

もしそうできないとしたら、指導者の「こうすればできるはずだ」という考えは、固定観念となり、考えを変えることができなくなる。その結果、うまく行かない理由を、相手の能力が低いとか、才能がないとか、指導者側ではなく、相手のせいにしてしまう。当然、そこから先には進まない。

さらに、指導者が、教える相手の向上よりも、指導者自身の正しさを主張することの方により多くの注意を払っている場合がある。その人は、自分が持っている考えでは、うまく行かなかったときに、うまく行かなかったと、認めることができない。

こういった指導者が目的にしていることは、相手の技術の向上ではなく、自分の正しさを、より確固としたものにすることである。さらには、指導者本人が、自分が何を目的にやっているのか、自覚がない。だから、教えられるほうは災難だ。

指導を受けている側が、自分には才能がないとか、自分が悪い。とか感じて行き詰まっていたとしたら、指導者が自分の正しさを主張することに一生懸命になって、相手を見ていない可能性がある。

子どもが補助輪なしで自転車に乗れるようにするために、まずは、平らな広場等でペダルをこがずに、地面をけって前に進む練習をする。そうして、バランスをとって自転車を倒さずに進む感覚を十分につかんだ上で、ペダルをこいで進む練習をする。という段階をわたしは考えていた。

で、実際にある子どもにやらせてみたとき、平らなところで、地面をけって進むのが難しいようだった。すぐに倒れてしまう。

そこで、なんでこの子はできないんだ。ほかの子は、このやり方でできているのにおかしい。自分はこのやり方で、長年指導してきた。それで、うまくやってきた。だから、できないのは、この子の運動神経が鈍いからだと、子どものせいにしてしまったら、先に進むことはできない。経験が邪魔をして、目の前で起きていることを観察できなくなっている。また、自転車に乗れるようにするという結果に向けて、自分がうまく指導できていないという事実を認め、受け入れられていない。

それは学校の勉強でも同じ。この子はほかの子より頭が悪いんじゃないか、脳に障害があるんじゃないか、病気なんじゃないかとか、考えてみても、どこにも行き着かない。

必要なのは、その子にあった段階を設定してあげること。
小学校の高学年だから、もう10歳だからわかっていて当然だ。とか思いこむのは、相手を見ていないことになる。

ひらがなは書くことができていても、実はカタカナの一部が書けず、その延長で、漢字が読めない、書けないなんてことはざらに起こる。その場合は、カタカナから練習させて、読み書きできるようにしていく必要がある。5年生で、5年生の漢字が書けないからと言って、5年生の漢字を一生懸命、練習させてもうまくいかない。その子はますます混乱するだけだ。

子どもに、自転車の練習を公園の広場でさせても、すぐに倒れてしまう状況が続いている。そこで、思いついたのが、地面をけって進む前に、もう少し低い段階を設定すること。近所にわずかに下り坂になっている遊歩道があった。昼間の人通りはわずかだ。そこにつれていって、ただ、自転車にのせて、くだらせる。地面をける必要もなく、自転車は自然に進んでいく。下り坂はゆるいので、それほどスピードはでない。何回かやってみな。と、勝手にやらせていたら、気がついたら、あ!できた!という瞬間があって、バランスをとって自転車を進めさせる感覚がつかめたようで、それができたら、すぐにペダルをこぎはじめて、そのまま、こいで進めるようになっていた。それまで、何度も公園の平らな広場で練習してきたが、なかなかうまく行かなかったことが、適切な段階を設定することで、わずか数分でできるようになった。

天才的なプレイヤー、優秀な技術者が、優秀な指導者になれるとは限らない。当人ができていること、できて当たり前だったりするので、どうしたらできるようになるか、わざわざ考える必要も、人に伝える必要もない。だから、できない人になにが起こっているのか、想像することが難しい。

ちょっとした小技ではあるが、フライ返し。大きめのお好みやきやら、ホットケーキを焼いているとき、他に道具を使わずフライパンだけを動かして、裏返しにひっくり返す。思い切ってひょいっとやれば、できるのだが、どうやってやるのか教えてと言われても説明するのが難しい。ひょいっと思い切ってやればいいんだよなどと、感覚的なことは言えるが、具体的にどうやっているのか説明することができない。自分は、簡単にできるが、人によっては難しいことのようだ。自分には、人がなぜできないのかが、よくわからない。だから、やり方を伝えるのが難しい。
天才と言われるような人は、おそらく、この何千倍も技能を要するようなことが、わたしのフライ返しのように簡単にできてしまう状態にあるのだろう。それで、その技能がなぜできるのか、どのようにやっているのか、説明するとなると、感覚的な言葉ばかりでてきて、できない人が理解できるような説明にはならなかったりする。

親御さんが子どもに対して、この天才的なプレイヤー状態に陥っていることがよくある。子どもになんでこんなこともできないのかといらいらして怒ってしまう。
それで、冷静に子どもの状態を観察することができていない。子どもだと特に、あまりにも簡単すぎるように思えることが、できない状態にある。親御さんは、そんな状態が存在すると想像することができず、現実に起きていることを受け入れることが難しくなる。指導する相手が、自分の子どもだった場合は特に。それで、子どもにとって、高すぎる段階を設定して、子どもはさらに失敗して混乱して、親御さんはこの子は大丈夫かしらとますます不安になったり、いらいらしたり。さらにその様子をみた子どもはさらに混乱して、と悪循環にはまっていく。

自分一人で、技能を習得しようと努力するときは、一人で、指導者と生徒を兼ねていることになる。自己流がうまくいかない理由のひとつは、自分の状態、レベルを適切に観察することが難しいから。指導者として、自分のことを客観的に見ることができないわけではないが、難しい。適切なレベルの練習をできているのか、練習を続けていて、上達しているのかどうか、自分ひとりで客観的に判断するのが難しい場合がある。自分はすごいんだと、勝手に一人で思いこんでいて、基本練習をおろそかにし、むやみに高い段階の練習をしようとする。それで、ある程度の時間をかけてみても、端から見たら、上達していない。

また、自分はまだまだだと勝手に思いこみ、いつまでも基本練習を繰り返す。いくら腕立て伏せが100回できたところで、水泳選手だったら、その筋力を推進力に変えられないと意味がないし、野球選手だったら、バットにボールを当てて、ある程度ねらった場所にボールを飛ばせるよう、コントロールするために、その筋力を使えないと意味がない。

他の人との比較がないので、こうすればできるようになるはずだという、固定観念にもはまりやすい。

空手をやっているという男。北海道で5本の指に入るとか豪語していた。当然どこかの道場に通っているんだろうと思ったら、通信教育で毎日自宅の部屋で練習しているとのこと。一人でやっているのに、自分はかなり強いと勝手に思いこんでいる。毎日練習を続けているのはすごいのだが、どの程度、技術が向上しているのかは、客観的に見る必要がある。「強い」というその根拠がどこからくるのかがよくわからないので、その強さはその男の勝手な思いこみでしかない。

私は学生のころ、トライアスロンの大会にでようと思い、水泳の練習をひとりではじめた。自己流で練習していたが、高校生になり、水泳部に入って、フォームがおかしいと先輩に指摘され、かなり直された。自分ではできているつもりでも、外から見てもらったら、できていない動きがあり、水の抵抗を増やしてしまうような無駄な動きがあった。自己流でやっていたために、変なくせがついてしまっていたようで、くせが抜けるまで、たびたび注意を受けた。自分の泳ぎを向上させるためには、他の人の目によるチェックが必要だった。一人でやっていては、無駄な動きをしていることに気がつけなかった。


肝心なことをまとめると、なにかの技術を習得しようとするときには、段階を踏んで、一歩ずつ高いレベルのことができるようにしていきましょう。そして、勉強の壁の一つ、段階の飛び越しには気をつけましょう。というだけの話。
適切な段階でもって、少しずつ技術のレベルをあげていく。それで、どんなことでもできるようにしていくことができる。適切な段階を設定して進めていければいいのだが、おもに指導者側の原因で失敗している様々な状況を書いてみた。