指導者の選び方

人に指導するときには、指導者が持っている技術や、様々な考えよりもまず、教えようとする相手を観察する能力が重要だ。観察した上ではじめて、相手がどの程度できるのか、できないのか、把握することができ、その上で適切な段階を設定することができる。

こうすれば、できるはずだ。という指導者自身の思いこみがある。説明して、やらせてみて、うまく行かない。そうしたときに、できていないという現状、相手が実際になにをしていて、どこまではできていて、どこからできていないのか、を観察する。そして、自分が持っている「こうすればできるはずだ」という考えを修正して、うまくできるように新たなことを試みてみる。その繰り返しで、指導者も教える側も成長していくことができる。

もしそうできないとしたら、指導者の「こうすればできるはずだ」という考えは、固定観念となり、考えを変えることができなくなる。その結果、うまく行かない理由を、相手の能力が低いとか、才能がないとか、指導者側ではなく、相手のせいにしてしまう。当然、そこから先には進まない。

さらに、指導者が、教える相手の向上よりも、指導者自身の正しさを主張することの方により多くの注意を払っている場合がある。その人は、自分が持っている考えでは、うまく行かなかったときに、うまく行かなかったと、認めることができない。

こういった指導者が目的にしていることは、相手の技術の向上ではなく、自分の正しさを、より確固としたものにすることである。さらには、指導者本人が、自分が何を目的にやっているのか、自覚がない。だから、教えられるほうは災難だ。

指導を受けている側が、自分には才能がないとか、自分が悪い。とか感じて行き詰まっていたとしたら、指導者が自分の正しさを主張することに一生懸命になって、相手を見ていない可能性がある。

子どもが補助輪なしで自転車に乗れるようにするために、まずは、平らな広場等でペダルをこがずに、地面をけって前に進む練習をする。そうして、バランスをとって自転車を倒さずに進む感覚を十分につかんだ上で、ペダルをこいで進む練習をする。という段階をわたしは考えていた。

で、実際にある子どもにやらせてみたとき、平らなところで、地面をけって進むのが難しいようだった。すぐに倒れてしまう。

そこで、なんでこの子はできないんだ。ほかの子は、このやり方でできているのにおかしい。自分はこのやり方で、長年指導してきた。それで、うまくやってきた。だから、できないのは、この子の運動神経が鈍いからだと、子どものせいにしてしまったら、先に進むことはできない。経験が邪魔をして、目の前で起きていることを観察できなくなっている。また、自転車に乗れるようにするという結果に向けて、自分がうまく指導できていないという事実を認め、受け入れられていない。

それは学校の勉強でも同じ。この子はほかの子より頭が悪いんじゃないか、脳に障害があるんじゃないか、病気なんじゃないかとか、考えてみても、どこにも行き着かない。

必要なのは、その子にあった段階を設定してあげること。
小学校の高学年だから、もう10歳だからわかっていて当然だ。とか思いこむのは、相手を見ていないことになる。

ひらがなは書くことができていても、実はカタカナの一部が書けず、その延長で、漢字が読めない、書けないなんてことはざらに起こる。その場合は、カタカナから練習させて、読み書きできるようにしていく必要がある。5年生で、5年生の漢字が書けないからと言って、5年生の漢字を一生懸命、練習させてもうまくいかない。その子はますます混乱するだけだ。

子どもに、自転車の練習を公園の広場でさせても、すぐに倒れてしまう状況が続いている。そこで、思いついたのが、地面をけって進む前に、もう少し低い段階を設定すること。近所にわずかに下り坂になっている遊歩道があった。昼間の人通りはわずかだ。そこにつれていって、ただ、自転車にのせて、くだらせる。地面をける必要もなく、自転車は自然に進んでいく。下り坂はゆるいので、それほどスピードはでない。何回かやってみな。と、勝手にやらせていたら、気がついたら、あ!できた!という瞬間があって、バランスをとって自転車を進めさせる感覚がつかめたようで、それができたら、すぐにペダルをこぎはじめて、そのまま、こいで進めるようになっていた。それまで、何度も公園の平らな広場で練習してきたが、なかなかうまく行かなかったことが、適切な段階を設定することで、わずか数分でできるようになった。

天才的なプレイヤー、優秀な技術者が、優秀な指導者になれるとは限らない。当人ができていること、できて当たり前だったりするので、どうしたらできるようになるか、わざわざ考える必要も、人に伝える必要もない。だから、できない人になにが起こっているのか、想像することが難しい。

ちょっとした小技ではあるが、フライ返し。大きめのお好みやきやら、ホットケーキを焼いているとき、他に道具を使わずフライパンだけを動かして、裏返しにひっくり返す。思い切ってひょいっとやれば、できるのだが、どうやってやるのか教えてと言われても説明するのが難しい。ひょいっと思い切ってやればいいんだよなどと、感覚的なことは言えるが、具体的にどうやっているのか説明することができない。自分は、簡単にできるが、人によっては難しいことのようだ。自分には、人がなぜできないのかが、よくわからない。だから、やり方を伝えるのが難しい。
天才と言われるような人は、おそらく、この何千倍も技能を要するようなことが、わたしのフライ返しのように簡単にできてしまう状態にあるのだろう。それで、その技能がなぜできるのか、どのようにやっているのか、説明するとなると、感覚的な言葉ばかりでてきて、できない人が理解できるような説明にはならなかったりする。

親御さんが子どもに対して、この天才的なプレイヤー状態に陥っていることがよくある。子どもになんでこんなこともできないのかといらいらして怒ってしまう。
それで、冷静に子どもの状態を観察することができていない。子どもだと特に、あまりにも簡単すぎるように思えることが、できない状態にある。親御さんは、そんな状態が存在すると想像することができず、現実に起きていることを受け入れることが難しくなる。指導する相手が、自分の子どもだった場合は特に。それで、子どもにとって、高すぎる段階を設定して、子どもはさらに失敗して混乱して、親御さんはこの子は大丈夫かしらとますます不安になったり、いらいらしたり。さらにその様子をみた子どもはさらに混乱して、と悪循環にはまっていく。

自分一人で、技能を習得しようと努力するときは、一人で、指導者と生徒を兼ねていることになる。自己流がうまくいかない理由のひとつは、自分の状態、レベルを適切に観察することが難しいから。指導者として、自分のことを客観的に見ることができないわけではないが、難しい。適切なレベルの練習をできているのか、練習を続けていて、上達しているのかどうか、自分ひとりで客観的に判断するのが難しい場合がある。自分はすごいんだと、勝手に一人で思いこんでいて、基本練習をおろそかにし、むやみに高い段階の練習をしようとする。それで、ある程度の時間をかけてみても、端から見たら、上達していない。

また、自分はまだまだだと勝手に思いこみ、いつまでも基本練習を繰り返す。いくら腕立て伏せが100回できたところで、水泳選手だったら、その筋力を推進力に変えられないと意味がないし、野球選手だったら、バットにボールを当てて、ある程度ねらった場所にボールを飛ばせるよう、コントロールするために、その筋力を使えないと意味がない。

他の人との比較がないので、こうすればできるようになるはずだという、固定観念にもはまりやすい。

空手をやっているという男。北海道で5本の指に入るとか豪語していた。当然どこかの道場に通っているんだろうと思ったら、通信教育で毎日自宅の部屋で練習しているとのこと。一人でやっているのに、自分はかなり強いと勝手に思いこんでいる。毎日練習を続けているのはすごいのだが、どの程度、技術が向上しているのかは、客観的に見る必要がある。「強い」というその根拠がどこからくるのかがよくわからないので、その強さはその男の勝手な思いこみでしかない。

私は学生のころ、トライアスロンの大会にでようと思い、水泳の練習をひとりではじめた。自己流で練習していたが、高校生になり、水泳部に入って、フォームがおかしいと先輩に指摘され、かなり直された。自分ではできているつもりでも、外から見てもらったら、できていない動きがあり、水の抵抗を増やしてしまうような無駄な動きがあった。自己流でやっていたために、変なくせがついてしまっていたようで、くせが抜けるまで、たびたび注意を受けた。自分の泳ぎを向上させるためには、他の人の目によるチェックが必要だった。一人でやっていては、無駄な動きをしていることに気がつけなかった。


肝心なことをまとめると、なにかの技術を習得しようとするときには、段階を踏んで、一歩ずつ高いレベルのことができるようにしていきましょう。そして、勉強の壁の一つ、段階の飛び越しには気をつけましょう。というだけの話。
適切な段階でもって、少しずつ技術のレベルをあげていく。それで、どんなことでもできるようにしていくことができる。適切な段階を設定して進めていければいいのだが、おもに指導者側の原因で失敗している様々な状況を書いてみた。





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