宮城県東松島市復興支援 ボランティア体験記 3  青い鯉のぼりプロジェクト

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震災が起こった日、お兄ちゃん二人は学校に、
当時幼稚園に通っていた律くんはうちにいた。

地震が起こり、津波に襲われ律くんとうちにいた家族は亡くなった。
後日、うちに戻ったら、彼が大事にしていた青い鯉のぼりがでてきた。
これを泳がせて、俺達は元気でやっているってことを伝えよう。
ということではじまった青い鯉のぼりプロジェクト。

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もともと泳がせていた鯉のぼりに加えて、
さらに追加の鯉のぼりをロープにかけるお手伝い。

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青い鯉のぼりプロジェクト発起人、亡くなった律くんのお兄さんの開会の言葉。

「全国からお越しくださってありがとうございます。
ここで何を感じてくださってもいいと思います。
いろんな想いがあっていいと思います。
でも、それが希望だったとしたら僕はうれしいです。」

この彼の言葉を聞いて、悲しいわけじゃなく、でも涙がでてきてしまった。

ここにはかつて街があった。
でも今はずーっと遠くまで更地が続いている。
何もないように見えるけど、ところどころ破壊された生活の跡が見える。
壊れた弁当箱、皿の破片、家の土台のコンクリート、ねじまがった鉄筋。

そして、ここで泳いでいる600匹を超える青い鯉のぼりと集まってきた大勢の人々。
起こってしまったこと、
それはここに住む人全員に大きな傷を残し、
それはまだ癒えたわけではない。

でも前に進むために、未来に進むために、行動している人たちがいる。

今回、復興支援という名目で助ける立場で東松島市に行ったわけだが、
このひどい影響をプラスに変えて
未来に向けて進んでいこうとしている人たちの存在を知り、
逆に自分が元気と勇気をもらって助けられたような気がする。
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小5の息子が帰りの車中で話してくれたこと。

「どこもきれいでちゃんとしてるように見える。
でも、津波のあとはまだ残っていて、
まだ大変なのは変わらないのがわかった。
なにか役に立てることをこれからもしていきたい。」



宮城県東松島市復興支援 ボランティア体験記 2  海岸沿いの被災地を視察

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海岸沿いの被災地の様子を視察。
ずっと遠くまで更地になっている。
で道路だけがある。

なにもない。遠くの松林で、斜めになっている木が何本か見える。

海に面して真新しいテトラポットが。
巨大なコンクリートの塊が海岸線をずっとと向こうまで埋め尽くしている。
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震災の時の助かった話を聞いた。

舞台はずっと向こうに見える造船所。

900人の従業員がいる。
皆車でここまで来ている。
全員が避難したら道は渋滞するだろう。
ここには、大きな建屋があり、中には3F以上の高さがある足場が組んである。
そこに避難すれば、津波の直撃は免れるだろう。
避難するな。ここに残れ。足場に登れ。
という所長の決断と指示。

結果、全員無事だった。

とのこと。
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つづく



宮城県東松島市復興支援 仮設住宅春祭りボランティア体験記 1

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東松島市の仮設住宅での春祭りに応援でボランティアとして参加した。

春祭りを何のために開催するのか?
主催者の方に話をうかがった。

被災する前は、普通に挨拶したりする仲だったご近所さん。
しかし、仮設住宅に入り、5人家族だったのが、3人になっている。
亡くなったのか、別れて住んでいるのかわからない。
聞くことができない。
前だったら、顔見たらおはようって挨拶してたんだけど、
できなくなってしまった。

先行き不安で、気持ちがふさいでしまって外にでることができない。

といいったように取り残されたと感じている人たちに、
できるだけ誘い合って外に出てきてもらう機会を増やしていきたい。

それが目的。

報道機関に祭りを実施することを伝え、各社から取材がきていた。
NHKでその日の7時のニュースで全国放送で流れ、被災地の現状が伝えられることになった。


仮設住宅は、元々は公園で野球場だった場所に建てられている。
言われてみれば、照明設備が、広い範囲を照らす野球場のものだということに気がつく。

お祭り当日、祭りが始まり、広場の真ん中で机をならべて全長36mの長のり巻き作り。住民の方々が並んで、巻いていく。
できあがって、なが~いのり巻きをみんなで持ち上げて完成。
それは住民の方々に配られる。その後、ボランティアの方々にも配られ、私も頂いた。



私達は白玉おしるこの販売をはじめる。お客さんは次々にやってきて最終的に予定した量を完売。

その後設置したテントや椅子を片付けて祭りは終了。


その後、みんなでスーパー銭湯に行く途中で、海岸沿いを視察しに行く。


つづく


その夢は実現しねえよ

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夢をあきらめて
と言いたいわけではない。

目の前の現実から逃げるために、
突拍子もないことを夢に見てるんだったら、
それは実現しない。

宝くじには当たらないし、
年収1千万円超えの男性と結婚なんてことも
ありえない。

いきなりオリンピックには出られないし、
練習なしで金メダルはとれない。


目の前の現実と状況。
そして何が実現可能なのか?

その達成したいゴールに向けて、
どれだけのエネルギーを投入する必要があるのか?
具体的に何をしたらいいのか?

考えてそして実行していく。

現状から逃げたいがために夢を見ている人は、

実際、実現している人は何をしているのか?
が見えていない。

だから当然その夢が実現することはない。

まずは目の前の現実を見てくれ。


雨上がりの朝、散った桜を前にした掃除のおじさんの名言

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何かの仕事、作業を行う際、
完璧さを追求するために
いつまでたっても完了できない。
求めている質を達成できないから、
完了できない。終わらせられないなんてことがある。

ラーメンのスープが満足行かなかったので、
今日は休業させていただきますみたいなこと。

何が問題なのか?

その場合、目的が何なのかが、
正確に理解されていない場合がある。

目的に対して、十分な質が備わっていればいいわけで、
その時、必ずしも完璧さは必要ない場合が多々ある。

これを人に理解させるのが、
なかなか難しい時があった。


雨が上がったあとの朝。
桜並木が美しい駅からの道。

道は濡れた花びらでピンク色。

掃除のおじさんの二人組がいて、
一人が新入りに指導しているような光景。

そこで耳に飛び込んできた言葉。

きれいにしようと思うな。
減らすんだ。

朝と夕方通り過ぎるだけの私にとっては、
春のわずか数日の美しい光景。

でも、掃除のおじさん達にとってもたら、
これは、対処しなければならないかなりの事態。

歩道にびっしり張り付く濡れた花びらは、
ほうきで掃こうにも動かない。

この花びらをすべて掃いてしまわなければならないとなったら、
どれだけの時間がかかるのか。

限られた時間の中でこの広大なエリアを
不快でない程度に整えておく。

そのために、何が必要か。

おじさんはそれを理解している。

笑ったら怒鳴られた。ラジオ出演しました。

人生初体験のラジオ出演。
実際の生放送での電話インタビュー。
とても有意義な初体験だった。

NACK5 夕焼けshuttle 押さえドコ!

ラジオで話したこと。
誤解語とは完全には理解していない言葉のこと。
よく聞くから知っているつもりだけど、
実はあやふやだったり、とにかく完全には理解していない言葉のこと。

で、肝心なことは誤解語があると行動できないってこと。

パーソナリティの黒田さんが、
してくださった話。


入りたての劇団員だったときに、

 笑っといて

と監督に言われて、え?と思ったが、
ニヤッとしたら、

 なに笑ってんだ〜!!

と怒鳴られた。
笑うってのは演劇用語で


【笑う】(わらう)人がよけたり、物をどかすこと。

という意味だった。
先に教えてくれよ〜


このように、言葉の意味を理解していないと、
行動がおかしなことになる。できなくなる。
それが一番肝心な伝えたかったこと。

黒田さんは「親子で楽しむ学び方」を読んで、よく理解し、
自分の体験に基づくわかりやすい例を話してくださった。




親子で楽しむ学び方 LEARNING HOW TO LEARN


シャチ好きだから水族館で働きたいという息子に伝えるべきこと

好きなものがあるってことはいいことだ。
何かを好きになれるってのはそれ自体で才能。

好きになって興味を持ったなら、
もっともっと見たり、読んだり聞いたりして、
いろんなことを知ってくれ。

将来、水族館で働きたいっていうのなら、
どうしたらいいか?
今から何ができるか?

他の人に、シャチに興味を持ったり、
好きになってもらうには、
どうしたらいいか?
何をしたらいいか?

を考える。
で、実際やってみる。

それで、他の人が、シャチに興味を持ったり持たなかったりするだろう。
その結果をふまえて、
なんで、その人は興味を持ってくれたのか?
興味を持ってくれなかったのか?
を見つけ出す。

そして、見つけ出したことをふまえて、
人にシャチに興味を持ってもらうために、
また何かやってみる。

まあ、一番初めは、まず自分。
自分がどうしてシャチが好きなのか、
どうやって好きになったのか、考えて言葉にしてみる。

それが最初の一歩。
そこから

シャチに興味を持ったら、
水族館に行きたくなるだろ。

水族館に来た人が払った入場料などのお金で、
魚や動物達の餌を買ったり、
水を用意したり
そこで働く人のお給料を払ったりして、
水族館が運営できる。

だから水族館は人に来てもらう必要がある。
ただ、魚を飼っているだけではない。

どうやってそれを実現するか?

を考えて実際にやってみることが、
仕事につながっていく。






早朝ランニングのすすめ

朝起きるのがしんどいとか、
起きられないとか、
考える以前に、ただ起きる。
身体はそのまま寝たがっているが、
身体の言うことは聞かない。

私が身体を動かす。
身体を外に連れ出して走らせる。

外に注意を向ける。

昨日より少しあたたかい。
風がわずかにふいている。

ここのところの、しんどい人間関係。
信頼していた人の嘘。
がっくり落ち込まされた。
その人のせいで、気分が悪いのだと思っていたが、
本当はそうじゃなかった。

その人の問題は、その人の問題で、
彼が自分で解決しなくてはいけない。
他に解決できる人はいない。

それに巻き込まれて
私が影響を受ける必要は全くなかった。
走っていて思い出す。

上を見ると桜の花が咲きかけている。
昨日はまだ咲いていなかった。

日々のちょっとした、でも確実な変化を
見つけられるのが嬉しい。



マラソンの順位よりも肝心なこと

IMG_0650マラソン大会に出場した息子達。


入賞する!

とか言ってたが、結果は真ん中辺り。
がんばって走りました。

でも、上位の人達とはかなりの差。

表彰台には登るつもりだったらしいが、
まったく箸にも棒にもかからない。

当たり前だ。

上位の人達は、日々努力してるんだ。
君たちは、最近になって走ったりしてたが、
彼らはもっと前から毎日毎日目標に向かって努力してるんだ。

そんな人達に勝てるわけがないだろう。

もし仮にだ、
たまたま勝てたとしても、
毎日目標に向けて努力できる人にはいずれ抜かされる。

目標をもつのはいいことだ。

肝心なのは、その目標を達成するために、
毎日毎日地道な努力を継続できるってこと。

今回の結果をふまえて、どうするんだ?


272 誤解語で妄想

息子達に連れて行かされる、

板橋区立熱帯植物館。



温室の中に再現されたジャングルを歩いていたら、

ある鉢植えに「アアソウカイ」と表示してありました。


アアソウカイ




ああそうかいそうかい、

今まで育ててやった恩を忘れて、

独立するっていうのかい。



と世話になっていた印刷会社の社長に呆れられている







という状況の妄想が

頭の中を勝手にかけめぐります。





その植物の名前、うちに帰ってから検索して調べてみたところ、

ちゃんと意味があったことがわかりました。



アアソウカイは、亜阿相界と書き、

亜細亜(アジア)と阿弗利加(アフリカ)の境界であるマダガスカル島が、

このアアソウカイの原産地であることから名付けられたとのこと。



その意味と由来を知ることで、

わけのわからない妄想もどこかに消えていったのでした。



何かを勉強したり、本を読んでいるときも、

気がついたら妄想にふけっていたなら、

理解しないで、勝手に意味を作り上げている言葉があるかもしれませんね。






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小湊鉄道で見た風景

個人だろうと組織だろうと、様々な状況がある中で
なにをどうやって生き延び、未来を作っているのか?
それに興味がある。

日経ビジネスオンラインでの記事「古すぎる鉄道」の極意。読んだ。

地方のローカル線といえば、

沿線の人口の減少。
さらに自動車の普及による利用者の減少。
それで、地方のローカル線は、
厳しい経営で存続が危ぶまれている。

そんな固定観念があった。

しかし、この記事で知らされた事実。

厳しい経営環境の中、黒字を続けている。
大正時代に建てられた駅舎がまだ現役。
車両を最後に買ったのは昭和52年。
IT化しない。まったくなし。

どういうことなんだと、
昨年の夏に実際に乗りに行った。

女性の車掌さん。
行き先表示板を抱えて、
歩いてきて、手で取り替えている。
hyoujibann


列車の中に乗り込むと、
天井には扇風機。
クーラーはついてない。

駅名表示板が木製。
ペンキで駅名が書いてある。
昭和の時代のまんま。
養老渓谷

駅名がいちいち想像をかきたててくれる音と漢字の組み合わせ。

窓から見えるのは遠くまで広がる田んぼ。
そして線路に沿って蛇行する養老川

無人駅から乗ってきたお客さんに、
車掌さんが切符を販売する。

そして、黒い小さな革のかばんから取り出したのは、
切符切りの鋏。
それで、切符に切込みを入れる。

自動改札が普及する前、
改札口には必ず駅員さんがいて、
切符に切り込みを入れていた。
駅ごとに、切り込みの形が違った。

その切符切りの鋏。
これが現役で使われている。


駅にて


私が大人になってから見た日本の地方の風景には、
毎度毎度寂しさを感じていた。

駅前のデパートは、空き物件だらけでがらんとしており、
商店街は、シャッターが閉まった空き店舗がならぶ。
国道沿いに、全国チェーンの服屋、レンタルビデオ店、うどん屋。
そして、なんでもそろってる巨大なショッピングセンター。

どこか他でも見られるような画一的な風景。

面白くない。
あんまし見たい光景ではない。

私はいろんなものがそろっていて、
動きの速い都会に暮らしている身。


そこに暮らしている人達に、
そこでの生活ってものがあるわけで、
部外者の私があれこれ言うのは、
勝手だとは思う。

でも、その寂れた駅前やら、画一的なチェーン店が並ぶロードサイド、
そして全国どこに行っても同じ商品が並ぶ巨大ショッピングセンターに、
私が魅力を感じることはできない。

私が見たいと思える、
日本の田舎、地方の風景ってものは、
もう夢の中にしか存在しないのか?
とどこかで感じていた。

この列車に乗って見たのは、
まさにその夢の中の風景だった。
もうすばらしく理想的な日本の田舎の景色だった。



実際にやってみないと間違ってることさえ分からない

英語の勉強で最初に習うようなこと。
あいさつ。

How are you?

Fine thank you, and you?

初歩の教科書には必ず書いてある。
でも実際アメリカに行ったときに
売店とか、スタバとか、
レストランで店員さんに尋ねられたのは、

How is it going?

やら

How are you doing?

あれ、How are you? じゃないんだ。

聞かれてたどたどしく、

Fine thank you and you?

と言ってみるが、なんか苦笑いされて、

Good.

と返ってきた。
なんか妙な感じ。
そういうことが何度かあって、
どうも私は変なことを言っているらしいと気付かされた。

では、他の人は実際なんて答えているのか?

あ、そうだ、わたしが聞いちゃえばいいんだ。

というわけで、会う人会う人に

How are you doing?

って聞いてみたら、

So so.
まあまあ

Good.
いいよ

Pretty good.
まあ、いいよ

not so bad.
そんなにわるくはない。

I’m tired. 
疲れてる。
昨日は夜、車の音がうるさくて目が覚めちゃって、眠いの。

などなど、人それぞれ。
またその時のその人の状況で、いろんな答えが返ってきた。

型通りのことを口にすればいいって訳ではなく、
そこには、人対人のやりとりがあったことに気づかされた。

これは、実際に英語が使われている現場で、
学んだ英語を使ってみて理解できたこと。








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リベリア内戦を彼はどうやって生き延びたか?

内戦下を生き延び、
破壊し尽くされた西アフリカの国リベリアに、
秩序をもたらそうと努力している人の話を聞いた。

内戦とはどういうことなのか、
言葉では聞いたこと、読んだことはある。
それが現実にどんな状況なのか。
想像したことはなかった。




ある朝起きてみると、
外では銃撃戦が始まっていた。
外に出ることができない。
結局、2週間部屋の中でじっとしていなくてはならなかった。

ここを逃げだそうと、
国境に向かおうと、家族で歩き続ける。

その間、大通りを、トラックが往復する。
荷台にのせた機関銃から周囲に向けて乱射されつづけている。

即、伏せてじっとしていないと撃たれて死ぬ。
トラックが通り過ぎたら、茂みに隠れ、
また伏せているが、蛇やその他の野生動物が、
身体の上を通り過ぎていく。

国境の検問所、12歳の将校がそこを支配している。
内戦下の無秩序状態で、地位がどのように決まるのか。

軍歴が長いとか、功績をあげたとか、
そういうことではない。

どれだけ残虐にたくさんの人を殺したか。
それで決まる。

12歳の将校が、そこでなにをしたのか。
彼が将校であるということは、どういうことなのか?

当時9歳だった彼がみせられたこと。

大きい女性と小さい女性の二人。

大きい女性の皮を背中からはいでいく。
ぜんぶはいで一枚になった皮を
小さい女性の背中に縫い付ける。

当然、二人とも死ぬ。

将校と誰かが、賭をする。
前にいる妊婦のお腹のなかにいる子供は、
男か女か。

腹を切り裂き胎児を取り出す。
どちらが賭に勝ったのかはわからない。
その後、胎児を使ってサッカー。
当然その女性は死んだ。


そんな状況を彼はどうやって生き延びたのか?

国境の検問所で、家族ごとに一列に並ばされる。
ひとりづつ検問を受け、質問の答えを間違うと家族全員が殺される。

元々は他の国の大統領の名前をもらって、父親がつけた彼の名前。
その名前が敵の部族を表していることに気づいた父。
話すことは禁止されていたが、
後ろから彼を蹴って呼びかける。


 名前を変えろ。

 は???

 名前を変えろ。おまえの名前は敵の部族を表している。
 自分で名前を決めろ。


それで、彼は生きて今の名前を名乗っている。



船にのってガーナに行けば、助かるという話を聞いた。
家族で港に向かう。
船は来ない。
何日も待つ。
船着き場には人がぎっしり。
そしてそこが攻撃されるという噂がたつ。

その場が騒然とするなか、
船が到着する。
人が、殺到して、その重みで船に乗り込むためのはしごが壊れる。

海に大勢が落下し
港から船に乗り込む手段がなくなる。

彼は、家族とはぐれてしまう。

そこで泣いていたら、
二人の男に声をかけられる。

  おまえにはふたつの選択肢がある。
  ここに残って、反乱軍にさらわれて、兵士になるか、
  船に乗り込んで、わずかに残るチャンスをつかむか。

  船に乗りたいんだったら、おまえが持っている
  リュックサックをよこせ。

リュックの中には、食料と油が入っていた。
9歳の男の子だった彼は、殺されるとかさらわれるとかよりも何よりも、
リュックを渡すことで母親に叱られることが怖かった。

それでもリュックを渡したら、
一人の男が、両腕をつかみ、
もう一人の男が、両足をつかんだ。

どうする気だ?

その数秒後、彼は空中を飛びながら空を見ていた。

そこは、騒々しい場所だったが、
静かな静かな時間だった。

数秒が長い長い時間だった。

船は波にゆられて前後に動いている。




彼は生き延び、その後、手に入れた本
「ダイアネティックス」

9歳の時に見せられたこと、
数え切れないショックや心の傷を
ダイアネティックスの技術で消去し、
内戦終結後の破壊尽くされた国に戻り、
秩序をもたらすために活動している。








そして、日本人の援助に対する感謝の気持ちを伝えに
日本にやってきてくれた。


なにがサンタさんよと責められた

仕事の合間に喫煙所で一服しながら同僚と雑談。


  昨日さあ、息子が、ちょっと話があるんだけどって
  改まった顔で言ってきたから、
  何かと思ったら、
  サンタさんってパパなんでしょう?
  って言われちゃったよ。


  あはは、かわいいじゃんか。


するとわきにいた女が突然、


  ひどい。わたしになにかうらみでもあるの?
  なにがサンタさんよ~


と言い残して走って部屋から出て行く。

目の前の灰皿には、
薄いピンク色の口紅がかすかについた
ひねり潰された吸い殻。

まだ煙がでている。


  え?

  おれなんか変なこと言ったっけ?

  ああ、彼女、子供ができなくて悩んでたんだっけ。





  だったら、たばこすってんじゃねえよ。



解説:

いろいろ努力しても子供ができない。
それは大きな問題だったりします。

で、どうするか?

犠牲者になって周りを責め続ける。

やけくそになって訳がわからなくなる。

などなど、様々な誤った対応をとってしまいがち。

いくら身体に注意を払って努力をしても、
なにも改善しなかったとしたら、
それは、身体をコントロールしている
心に問題がありそうです。

心とは過去の経験の記録の蓄積。

そして問題になるのは、
自分でコントロールできず、
逆に自分がコントロールされてしまうことになる、
痛みと無意識の経験の記録。

その過去の痛みと無意識を含む経験を取り除き、
本来の心の能力を取り戻すのが
ダイアネティックス。





ポテトチップスにサルサ

2年ぶりのフロリダ。
サルサ音楽は好きだけど
その言葉の由来になっているサルサってもの自体を食べたことがない。
そういえば前に友人が、
ポテトチップにサルサをつけて食べると
うまいって言っていた。
今回はそれを食べてみたい。

しかし、どこで手に入れたらいいんだ?

とホテルの近所のいろいろそろってる
雑貨店を見てみたりしたが、見つけられずにいた。

自分が未来を作っていくのだと、
なぜかだかはげしく思い知らされたあとに
ホテルの一階のカフェに入ったら、
全席にメキシカンな網かご。
その脇には小皿があって赤い物体が入っている。
かごのふたをあけると中にはポテトチップス。

これ食べていいの?

どうぞ食べて。
サービスよ。

ポテトチップスを赤い物体につけて食べる。
トマトベースで、酸っぱ辛い。
始めて食べるのだが、
なんだろう、
この腹の底からわきあがってくる
センチメンタルな感情は。

めちゃくちゃこれ好き。

なんか尋常でない好きさ加減。

これがサルサだった。
はじめて食べた気がしない。




昔挫折した「細雪」読んだ。

学生時代に挫折したことのひとつ。
それでずいぶん長い間、
やろうと思っていて実現できなかったこと。
長編小説「細雪」の読破。

毎日忙しい中、娯楽に時間を費やしている場合じゃねえ。
というわけで、長い間保留にしていた。

しかし、今回飛行機で十数時間の旅。
これまで飛行機で寝られた試しがないし、
なにか仕事するってったって集中できる環境じゃないし、
これはいい機会だと、細雪の電子書籍板を購入して、
ipadで読めるようにして持っていった。

電子書籍だと、白黒反転させて、
黒地に白い字で表示できるのがいい。
ipad自体の機能設定で色相を反転させて黒地に白い字を実現。
それだと、暗い中でも目が疲れずに読める。

なぜ、「細雪」か?

確か国語の教科書にのっていた「春琴抄」。
学生だった当時うわーこれものすげえ変態だ。
こんなん教科書にのせていいのかこれ?
とドキドキしながら読んだ。
それから、谷崎の小説を一通り読んだ。
大正時代の作品が、好きだった。
もう、とことんまで頭おかしいだろという世界が言葉で作られていた。

で、「細雪」に挑戦した。

読めなかった。
意味が分からなかった。
ちょっとだけ読んで挫折した。
今まで読んだ谷崎の作品と全然違う。

それから長いこと忘れていた。
小説を読むなんていう娯楽に時間を費やすことも、忘れていた。
本自体読めなくなってしまっていた。

その後、理解していない単語を辞書を使って調べる。
という習慣を身につけてから、
再び本が読めるようになり、
以前読みかけた本をもう一度読んで見たいと思っていた。

「細雪」もその一つ。

今回時間ができたので機上で読み終えることができた。
中途になっていたことを完了できたのはうれしい。

そこにあるひとつひとつの言葉を
理解する必要があるのはもちろんのこと、
その関西のその階級の文化、習慣、
そういうものがある。というその存在を知らなかったら、
理解できなくて当然だった。

子供だった自分が挫折したのはまあしょうがない
と今となっては思える。

で、ここまで密度濃く膨大な量の言葉で
関西の上流階級の文化、生活を緻密に丁寧に描いておきながら、
なななんなんだこのおちというか結末は、

へ?

怒りを通り越して笑った。


やっぱり頭おかしい。
でその頭おかしさを理解するために、
結構な教養が必要ってのが、またまたよい。

戦時下の言論統制で自由に物が書けない中、
不謹慎と言われてしまうような内容にはまったく見えない形で、
実はその裏にかなりの「不謹慎さ」が表現されている。

私にとって頭おかしいとは最大級のほめ言葉。






方程式なんて必要ないから。使わないし。

数学なんて使わないから!と主張する女性。

中学生の頃、別に方程式使わなくても解けるのになんで方程式使わなくちゃいけないのかって
質問したらうるさがれた。
いいからだまってやれ。
ごちゃごちゃいわずにやればいいんだ。
そんなことを聞いてくるやつは他にはいない。
とか言われて結局先生は質問に答えてはくれなかった。

それで何で方程式使わなくちゃいけないのかは分からないまま。そこで数学は勉強する必要ないって思った。



そんなことがあれば興味を失うのは当然。
学校の勉強には目的がぬけ落ちている。それで、本来のその科目や知識自体の目的ではなく、テストの点数だったり、その延長線上にあるよい学校にはいるという目的で代用する。

生徒の段階によっては、だまってやれ、いいからやれ。
ととにかくやらせることが必要な場合もある。

でも彼女はそういった段階ではない。
彼女は興味を持って、理解しようという意図を持っている。だから、それはなぜなのか?は説明すれば理解できるだけの頭はあるのだ。

しかし、そもそも教える側が、その教えていること自体なぜそれが必要なのか、やる必要があるのか目的を持たせることをしないし、できない。

その代わりにテストの点数を上げよい成績をとるという目的でごまかす。

方程式には目的があるのだ。
それを使うことによって、
様々に違って見える事柄が、方程式を使うことで、共通の形をしていることが分かり、答えを出すのがより簡単になる

それを、彼女が興味があったり好きな分野にからめて、説明してあげられたらよかったのに。





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基礎からわかる勉強の技術



enchantMOONで小学生がプログラミング

息子が通っている小学校のパソコンクラブ。
聞くと、毎回ネット見ているだけ。
ユーチューブ1時間見て帰ってくる。

使い方を覚えるのは、まあいいのだが、
ネット見るだけ。

それじゃあ、ただ受け身になる一方。

親としてはなにかを作る道具として、
パソコンを扱えるようになってほしい。

その方が、面白いだろうし、
この先できることが広がっていくはず。

では、なにをどうやって作るのか?

エクセルとかワードとか、
まあ使えるに越したことはない。

でも、それはコンピュータのごくごく限られた一部の用途。
まあ大人になってからでも遅くはない。

というわけでenchantMOON買った。
なんかやりたいんだったら、
自分でプログラムしろと言う不親切な
手書きタブレットコンピュータ。

手描きでメモを書いて、
あとから検索できたり、
ブロックを組み立てる要領で、
比較的簡単にプログラムを組めるとのこと。

キーボードなしでプログラムが組めるんだったら、
小学生でもできそうだ。

それで、もしペンの色を変えたいんだったら、
自分でプログラムを組んで
色を変えられるようにしろという不親切さ。

とにかく、今のコンピュータのように、
なんでもあれこれ至れり尽くせりで揃っている中で
与えられた機能を使いこなせというのではなく、
まず自分でプログラムを組んで
自分なりに使えるようにしろと、
カスタマイズしろという代物。

ますます面白い。

まあ、もともとはコンピュータは
自分でプログラムを作って動かすものだった。

ここ10数年の間にパソコンが普及して、
まあ、わたしも仕事や家庭で一般的な使い方をしているが、
コンピューターってこんなものだったっけ?
といううっすらとした疑問を感じていた。

そんな中で、このenchantMOONという
日本発のコンピュータの新しい形の提案。

応援しないわけにはいかない。


10歳の息子にペンギンを描かせて、
それを使ったゲームを作ってやる。

そうしたら、ゲームの設定をあれこれ変えることを覚え、
いじくり始める。

自分で描いたペンギンとイワシを使って
ゲームを作って遊んでいる。

プログラミングの面白さを伝えようという意図、
子供たちに届いてますよ。


moon








メキシコ湾原油流出事故後の伝えられない二次災害とその解決策とは?

メキシコ湾原油流出事故。

海底から原油が大量に流出し続け、海が大規模に汚染される。

その後のあまり知らされることのなかった、
さらなる人為的な二次災害。

流出原油を分解するという目的で、飛行機で広く散布され、
また海底の原油噴出弁や流出した油に直接吹きつけられた大量の石油分散剤。

それが毒物だと知らされたのは、
その被害が拡大してからの話。

実際どんな影響を引き起こしたのか?

漁船船長の女性。安全であるとされていた地域で漁にでて、網に何もかからないという異常事態。
状況の確認中に網をふった水が身体にかかる。
すぐにかゆみと炎症が発生。洗い流して、処置したが、
その後激しい頭痛と吐き気に襲われる。

24時間後に船長室の床で痙攣を起こして倒れる。

それから1年半、健康はさらに悪化し、
常に下痢、毛が抜け落ち、視覚、聴覚の低下、足は麻痺し感覚がなくなる。
歩くときには、足を引きずり転んでばかり。
何も覚えることができない。もうおしまいだと、世を去る決意をしていた。

増え続ける苦しむ患者達。
治療法を持たない医師。
できることは薬を与え、かろうじて痛みを和らげる程度。

医者によっては、妄想症だと精神薬を処方する。

根本的な解決にはなっていないどころか、状況は悪化するばかり。

そこで被害者達に提供された解毒プログラム。
最初の2週間、サウナで汗をかく最中に再現される様々な症状。
それが続ける中で、消えていく。

解消されていく様々な症状。
結局は、触れて体内に取り込んでしまった化学物質が原因で、
様々な症状を引き起こしていた。

体内に蓄積された危険な化学物質。
脂肪組織に取り込まれると、排出されず、そこに留まって悪影響を及ぼし続ける。

それを取り除くにはどうしたらいいのか?
そのプログラム詳細は「クリアーな身体、クリアーな心」で紹介されている。



どうやって彼らは宗教をあやしいものにしたのか?

宗教に対してどんな印象をお持ちでしょうか?
あやしいとか、操られているとか、
洗脳されるなどなど、反社会的でよくないもの。
こういった考えが広まる原因になったのが、
1990年代におけるオウム真理教の事件。

教祖の麻原の指示で、地下鉄に猛毒のサリンを撒くという無差別テロ。
坂本弁護士一家を誘拐し殺害。
上九一色村のオウム真理教の宗教施設と
そこにいたヘッドギアをつけた信者達の異様さ。

それ以来、新興宗教はカルトでマインドコントロールを行い、洗脳を行い、
人を操ろうとする危険で怪しいものということになった。

電気ショックを与え続け、薬物を大量に投与した状態で、
なんらかの言葉を繰り返し与え、
意識の深いところに命令を植え付け催眠術をかける。
このような彼らの行っていたマインドコントロールなる実践は、
誰がどうやってはじめたのか?

そのやり方はどこからきたものなのか?

幹部だった東大卒の精神科医が、
「拷問と医者―人間の心をもてあそぶ人々」 ゴードン トーマス著 吉本 晋一郎訳 朝日新聞社 1991/3
でレポートされているマインドコントロールの技術を信者に対して使った
と本人が裁判で証言している。

教祖と同じ精神状態になれるというヘッドギアも、結局は、ここから開発された道具。

さらには、教祖麻原の頭に触れたのは、彼だけ。
麻原は、彼の助言を常に求めていた。
麻原は、彼によってLSDを300回以上投与され、薬物中毒状態にあった。

もともとは、ヨガを通じて心身の状態を良くしようという試みだった。
それがどのように変質していったのか。
それは、その精神科医が入り込んで行ったこと。

宗教とは本来、精神的なものを扱う知識と実践の体系。
人が何らかのよい状態を目指すことが目的だったはず。

もしそれが反社会的なものに変質しているのなら、
実際のところ裏で誰が何をしているのか、
よく見てみる必要があるのではないだろうか?



1951年、史上はじめて、諜報活動の分野におけるマインドコントロールの実践を暴露した本



身体をうごかすものは(  )と(  )

身体をうごかすものは(  )と(  )
って、何が入るの?

筋肉と関節?

小学生の息子からの質問。
理科の宿題をやっているらしい。

ああ、それはな、気合と根性だろ。

思わず吹き出す息子。

いやいやいや、そこ笑うとこじゃない。
べつにふざけているわけじゃないぞ。

おまえも武道をやってるなら、
もうこれ以上身体が動かないどうしようってとき、
どうやって身体動かす?

気合と根性しかないだろ。

と、納得させた後で、
でもな、学校とかテストでは、
先生が聞きたい答えを言う必要があるんだからな。
わかってると思うけど。

と矛盾してるようなことを言ってみる。

そこで腹を立てずに爆笑できる息子はなかなか理解している。

パワハラでもちもちピザ屋開店

【パワーハラスメント】

職場の権力(パワー)を利用した嫌がらせのことである。
略称は「パワハラ」。


■1.意味

職場において、地位や人間関係で弱い立場の労働者に対して、
精神的又は身体的な苦痛を与えることにより、
結果として労働者の働く権利を侵害し、職場環境を悪化させる行為


■2.使用例

社長のパワハラが苦痛だと感じていたが、
実は、それは私に対する嫌がらせじゃなくて、
店のためのマジな仕事の一部だった。


■3.状況:


社長におこられた。


  店の前でピザ持って踊れないって、ふざけんな。
  やれって言われたらやるんだよ。


  そんなの無茶苦茶です。


いつも相談に乗ってくれる山本さんに、
社長のやってることは、パワハラだと訴えたら、
社長が何でピザ屋をやっているのか聞かせてくれた。


・・・・・・


社長の学生時代は、柔道部員。
先輩からの命令は絶対だ。


  ペプシキャベツ3本、グリーン商店で買ってこい。


  はい、よろこんで。


グリーン商会までダッシュ。


  ペプシキャベツ3本ください!


  ごめんね~、うち置いてないの。


おばちゃんに言われ、
ダッシュで戻り、
先輩に報告する。



  グリーン商会にペプシキャベツは置いてないそうです!




グリーン商会まで行かずに戻って、


  ペプシにキャベツ味なんてありません。


と言った部員は、

おまえグリーン商会まで行ってないだろ。
先輩の命令を実行できないってのは、
どういうことだ?

と責められることになる。

こういったことの繰り返しで、
先輩からの命令は絶対だと叩きこまれる。




社長が社会人になってから、
ある時、久しぶりに先輩から
電話がかかってきたんだそうだ。


  おれのマンションの1Fが空いてるから、
  ピザ屋やってくれ。


それで勤めていた会社辞めて、
開いたのがここ。

別に料理人ってわけでも、
グルメってわけでもなかったのになあ。



・・・・・・・



え???
社長は、先輩に電話でピザ屋やってと言われたってだけで、
知る人ぞ知る石窯焼き有機素材使用のカリッともちもちピザの店、
開いちゃったんですか?



  そうだよ。



ピザが好きだとか、店を持ちたいとか
そういうことではなかったんですか?



  ピザが好きなのは、社長じゃなくて社長の先輩。
  社長は、前は保険屋の
  セールスマンだったんだからなあ。

  それ考えたら、店の前で踊るぐらいどってことないだろ?



は、はあ。





■4.解説:


周囲で起こる様々な出来事。

人によって、対応の仕方が違います。

犠牲者になって周りを責め続ける人。

無気力になって引きこもる人。

困難な状況だろうがなんだろうが、
うまく行かせるために行動し成功する人。

様々な種類の人がいます。

その違いはどこから来るのでしょうか?

そしてどうしたら、
人生をより幸せに生きることができるのでしょうか?

書籍「ダイアネティックス」に答えがあります。


ダイアネティックス 心の健康のための現代科学

ビリ公の謎

息子たちが遊びに行く近所の公園、
ビリ公、ビリ公と子どもたちが呼んでいる。

なんでビリ公なのか?

先ほど由来が判明した。

すべり台がある。

冬はすべったとき、
静電気が発生してビリビリくるんだそうだ。

特にジャンパーを着ている時に、
全身にビリビリくるらしい。

それでビリ公。

一つ謎がとけた。

試しに私もあとで感電しに行ってこよう。



という訳で、さっき行って見てきた。
すべり台は、金属製でなく、プラスチック製。
金属製だったら、電気を逃してしまうので、ビリビリくることはない。

それで、子どもたちによると、
ビリビリくる滑り方があるとのことで、
披露してもらった。

普通にそのまま滑るのではなく、
身体がすべり台に対して90度になるようにして、
ジャンパーとすべり台が摩擦でこすれる形にして滑るのだそうだ。

その後、何人か、そのすべり方で滑ってくれたが、
滑っている間中、ビリビリビリビリと
静電気によるかすかな音が本当に出ていた。



歌が生きてる

3人の息子たちが、お世話になってきた公立の保育園。

おととしまでは、ちょくちょく息子達のお迎えに行っていたが、
昨年からは仕事の都合やら、通うのが一人だけになったのもあり、
すべて妻におまかせ。

それでしばらく行くこともなかったが、
久々に、行ったら園長が代わって新しい先生になっていた。

保護者会でまず歌詞カードを渡された。

園長先生がギターを持って登場。

先生の伴奏で、参加者みんなで歌う。

 
  ひとりひとりが みんなちがって 
  ひとりひとりが みんなすてき~


あれ、そういえば、この歌、長男も昔、
うちで大声で歌ってたなあ。

この歌はなんだ?

と疑問が浮かぶ。

そしたら説明してくれました。

これは10年前に園長先生がここの保育園にいた時に作った歌で、
昨年、園長として戻って来たら、
この歌がまだ歌われててびっくりした。

とのこと。

ええええ~

ここは天国か何かですか?

っていうような、ストーリーがこんな身近にあるとは。





発達障害もADHDもそもそもがインチキだ。「大笑い!精神医学」

ここまで完全に100%精神医学を否定している本は
はじめてかもしれない。

当然、「発達障害」「ADHD」についても、
インチキだと書いてくれている。

10年前はこんな「発達障害」や「ADHD」なんて病名はなかったはずだ。
少なくとも、私は聞いたことがなかった。
それがいつのまにかどんどん広まって
誰もが知っている病名になってしまった。

勉強ができないのは、
落ち着きが無いのは、
椅子に座っていられないのは、
病気で、脳に異常があると考えられるから、
医学的な処置が必要だと、
専門家が言っている。

病気だからいくら
教育で対処しようとしても、
ムリだ。

などなど。

ただ、その専門家なる人物は、何が目的で
そんなことを言っているのか?
人を病気扱いしようとするのか?

そこをよく見る必要がある。


いつだったか、もう何年も前だが、
某有名私立中高一貫校の先生方に
呼んでいただいたことがある。

落ちこぼれてしまった生徒を
どうしたらいいのか困っている。
なにか解決法はないか?

話を聞きたいとのことだった。

もうすぐ高校卒業だというのに、
まったく漢字が書けない。
数学が中学レベルからできてない。
文章がまったく書けない。
勉強に手がつかなくて留年しそうなんだけど、
何とかしようとする気もまったくない。
話をしようとしても、返事がほとんど返ってこない。

などなど。

外からみたら、そこは本当にトップクラスの学校で、
中学受験を勝ち抜いて入るような学校。

そもそも、なんでそんな生徒が
そこに入れたのかが疑問でもある。

とにかく小学校の早い段階から、
意味もわからずひたすら量をこなさせたりする
中学受験対策の弊害がでてきてしまったのを感じた。

先生方は、なんとかしたいという意図があって、
私を呼んでいただいたわけで、
その点は素晴らしい。

ただ、そこで言われたのが、
村田さんの考えは分かるが、
医学的な処置も必要なのでは。

とのこと。

学校の先生から、その言葉を聞いて、
教育の現場に、しっかりと精神医学が入り込んで
いるのを知った。

教育者としてそれは怠慢なんじゃないのか?

医学って言うけど、
それは科学的な裏付けのない、
あくまで医者の主観で病名をつけ、
薬に依存させるようにするために、
やってるんですよ。

と当時言えなかったことが残念だ。

今だったら、この「大笑い精神医学」を
参照してもらうことができる。

心強い味方ができたのが嬉しい。


体罰で思考停止

生徒を、教え子を殴る、蹴る。
それは何が目的なのか?

私が中学生の時の
生活指導の体育教師。

教室の前に連れ出された一人の生徒。

 なんで、おれがこうするかわかるか。
 言ってもわからないんだったら、
 こうするしかないよなあ。

と話しながら、生徒を殴る。

 おまえたちのためなんだよ。

また殴る。


黒板の前で殴られている生徒を見せつけられて、
目をつけられたら、自分も殴られる可能性がある。

沿う感じさせられて、
授業中だろうと、なんだろうといつもうるさい教室は、
静まり返る。

殴って痛みを与える。

それでおとなしくさせて、
黙って言うことをきかせる。

そのためだったら、体罰は有効だろう。

でも、力のある人とか立場が上の人の言うことを、
ただ黙って聞いて従うだけの人が、
いまの何が起こるかわからない世の中で
人生を切り開いていけるとは思えない。

従順な人を育てるのが目的の教育には、
私は関わりたくない。




これを書いてて、思い出した。

別の時、その体育教師が、
空き教室にある生徒を連れて行き殴ったり蹴ったりしている。

当時の私の担任は、理科の先生で、
身体は大きかったが、
体罰をふるうタイプじゃなかった。

で、体育教師が入っていった空き教室に、
後から入っていって、後ろからじっと見ていた。

いま思えば、担任も戦っていたんだろう。

悪いことばかりではなかったんだと、
今気づいた。







雪合戦は必須科目なんじゃないのか?

雪の降った翌日、横浜のはじっこに住んでいたわたしは、
小学校では、授業を一時間潰して、
グラウンドで遊ばせてもらったもんだ。

それで、先生も交えて雪合戦をした。

茨城で育った妻も、当然、小学校では、
同じように雪合戦をしたそうだ。

だから、昨日は、息子たち、
学校でやってくるものとばかり思っていたら、
なんか、不満そうな顔の二人。

ドロドロになるからと言われてやらせてもらえなかった。
グラウンドで遊ばせてもらえなかった。

え?

雪が積もったら、
雪合戦は必須だよなあ。

雪に触れられて遊べる機会なんて、
年に1、2回あるかないか。

ましてや、昨日は東京では何年かぶりの大雪。
たっぷり積もっている。

この状況は、子どもの時に
身体で体験しておくべきなのではないか。

教室での勉強より、
そっちの方が重要だろ。

まあ、当然子どもにケガさせてしまったり、
服を汚してしまったりといったリスクがあるわけで、
管理者としては、親からクレームつけられる可能性などなど
考えたらできないってことなんだろう。


つまらん。


三男は保育園で雪合戦してきたとのこと。

よかった。

まあ、保育園だったら、
雪合戦やらの雪遊びさせなかったら、
逆にそれでクレームがつきそう。






息子は大喜び。東京で積雪8cm。

東京で大雪
東京で大雪


窓の外を見ると、
真っ白くなってる世界。

すぐ外にかけ出して、
さっそく雪だるま制作にとりかかる息子たち。

いま、目の前に起きていることを、
あと先考えずにとにかく動いている。

明日は、自転車乗れないなあ。
仕事に歩いて行かないとなあ。
なんて、明日のことを考えて
めんどくさがってる私は、
今を全力で生きている彼らを
みならうべきだ。






269 ぜったいできる

頭がわるいとか、
才能がないとか、
親の遺伝だとか、
病気だとか、
脳に欠陥があるとか、
できない理由を考えようと思えば、
いくらでも考えられます。

でも結局それはやらない言い訳だ。

などという話をしたところで、
意地でも、自分はできない才能がないから勉強は無理だ
と言ってくる生徒さん。

話し合いをしても時間の無駄。

数学の成績がひどいので何とかしたいとのことなので、
段階を下げて、以前できていたというところから、
順番に練習させていきます。

意味があやふやだったり、
知らない用語は、理解できるように手伝います。

何か問題が解ける度に、

できてるじゃんか!!

などと声をかけます。

こう言われて、
悪い気がする人はいません。

本人ができないと思い込んでいる場合、
周りからダメだダメだできないできない
と繰り返し言われ続けて、
そう思い込んでしまっている場合がほとんど。

最初は、些細だったり簡単なことでいいので、
自分はできるってことに自分で気がつくよう仕向けます。

それができたら、できることの量や質を
少しづつ増やしていきます。

一人一人の様子を見つつ、
引っ張りあげていく作業で、
手間がかかります。

でも、最後には自分で勉強を進められるようになるんです。


なにか、結果を出さなくてはいけない状況で、
病気だとか
脳に問題があるとか、
才能がないとか、
理由を考えてもどこにも行き着きません。




親子で楽しむ学び方 LEARNING HOW TO LEARN


基礎からわかる勉強の技術


ジャンケンブルドックで学ぶ勝負事に向かう姿勢

電車の中で、息子たちが退屈して、
気がつくとパンチの応酬が始まっている。
注意をそらすために、ジャンケンブルドックをやろうと提案。

始めたはいいのだが、
ジャンケンストレート三回負けで、
私はたてたてよこよこまるかいてちょんと、
ほっぺたを引っ張られるはめに。

おかしい。

ジャンケン三連敗などという事態は、
父として許されるべきではない。

父として、私は息子が乗り越えていくべき存在なのだ。
それが、乗り越えるも何も、
こんなにあっさり負けて良いわけがない。

本気出してやる。

2回連続負けのあと、
しばらく勝ったり負けたりが続き、
片ほっぺたつねられたりつねったり。

最後には、私が息子のほっぺたを
たてたてよこよこまるかいてちょん。

勝負事はなんだろうと、
勝ちたいんだったら、
勝つという気持ちが必要だ。

それは、ジャンケンでも例外ではない。

あけましておめでとうございます。

今年もよろしくおねがいします。