hyoujibann

小湊鉄道で見た風景

個人だろうと組織だろうと、様々な状況がある中で
なにをどうやって生き延び、未来を作っているのか?
それに興味がある。

日経ビジネスオンラインでの記事「古すぎる鉄道」の極意。読んだ。

地方のローカル線といえば、

沿線の人口の減少。
さらに自動車の普及による利用者の減少。
それで、地方のローカル線は、
厳しい経営で存続が危ぶまれている。

そんな固定観念があった。

しかし、この記事で知らされた事実。

厳しい経営環境の中、黒字を続けている。
大正時代に建てられた駅舎がまだ現役。
車両を最後に買ったのは昭和52年。
IT化しない。まったくなし。

どういうことなんだと、
昨年の夏に実際に乗りに行った。

女性の車掌さん。
行き先表示板を抱えて、
歩いてきて、手で取り替えている。
hyoujibann


列車の中に乗り込むと、
天井には扇風機。
クーラーはついてない。

駅名表示板が木製。
ペンキで駅名が書いてある。
昭和の時代のまんま。
養老渓谷

駅名がいちいち想像をかきたててくれる音と漢字の組み合わせ。

窓から見えるのは遠くまで広がる田んぼ。
そして線路に沿って蛇行する養老川

無人駅から乗ってきたお客さんに、
車掌さんが切符を販売する。

そして、黒い小さな革のかばんから取り出したのは、
切符切りの鋏。
それで、切符に切込みを入れる。

自動改札が普及する前、
改札口には必ず駅員さんがいて、
切符に切り込みを入れていた。
駅ごとに、切り込みの形が違った。

その切符切りの鋏。
これが現役で使われている。


駅にて


私が大人になってから見た日本の地方の風景には、
毎度毎度寂しさを感じていた。

駅前のデパートは、空き物件だらけでがらんとしており、
商店街は、シャッターが閉まった空き店舗がならぶ。
国道沿いに、全国チェーンの服屋、レンタルビデオ店、うどん屋。
そして、なんでもそろってる巨大なショッピングセンター。

どこか他でも見られるような画一的な風景。

面白くない。
あんまし見たい光景ではない。

私はいろんなものがそろっていて、
動きの速い都会に暮らしている身。


そこに暮らしている人達に、
そこでの生活ってものがあるわけで、
部外者の私があれこれ言うのは、
勝手だとは思う。

でも、その寂れた駅前やら、画一的なチェーン店が並ぶロードサイド、
そして全国どこに行っても同じ商品が並ぶ巨大ショッピングセンターに、
私が魅力を感じることはできない。

私が見たいと思える、
日本の田舎、地方の風景ってものは、
もう夢の中にしか存在しないのか?
とどこかで感じていた。

この列車に乗って見たのは、
まさにその夢の中の風景だった。
もうすばらしく理想的な日本の田舎の景色だった。



コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

次のHTML タグと属性が使えます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <strike> <strong>