267 自分がバカだというのは、誰かの意見であって事実ではない

式をグラフに表すところで、
止まっているある生徒さん。


 おれあたまわるいんです。
 バカだから無理っす。


わかった、わかった。

じゃあ、まずこれやって。

段階を下げて、
グラフ上の点を数字で表したり、
逆に数字で表された座標から点を
見つけさせたりを
躊躇なくできるようになるまでやらせます。

できるようになったら、
数式の部分部分が何を表しているのか、
定義を理解させ、

と段階を踏んで順番にやっていきます。

ひとつひとつをとにかく
わかるまでできるまで、繰り返させます。

いくら間違えたとしても、
理解していないところをみつけ、
誤解している用語や記号を調べさせ、
また、同じところを繰り返させます。

場合によっては、何十回も繰り返す必要があります。

でもとにかく、できるまでやる。やらせる。

すると、どこかでできるようになります。


  すごいすごい、できたじゃんか!!!


とおもいっきりほめます。

本人もうれしそう。

満足しているところで、
聞いてみました。


  頭わるいって、誰に言われたの?


よくでてくるのが、お母さん。

自分の息子が娘が、
できない様子を見ていて、
イライラしてしまう気持ちはよくわかります。

それで、つい、

なんでできないの!
才能ないのねえ!

などなどと、余計なことを言ってしまう。

でも、それで状況が改善することはありません。

多少、忍耐が必要かもしれませんが、
できるまでうまく導いて、
できるようになるまで
見守ってあげられるといいですね。


理想的なアスファルト

アスファルトに直接照らされる日差しと、
湿度の高さで、息が苦しくなるほどの重み。

そういった東京のくそ暑さが
見ただけで感じられるような写真がないかなと、
探すが、明るすぎてさわやかな写真ばかり。

しょうがない。

ないならどっかで撮ってみよう。

と、昨日考えていたことを思い出した。

動くと湿った空気が身体にあたりますます
不快な朝からくそ暑い晴れた朝。

目の前には理想的なアスファルト。

まだ食べてんのか!

お祭りの帰り、棒アイスを買って帰って、
子どもたちと一緒に食べました。

私は食べ終わって、明日の準備をはじめます。
で、一段落ついて、ふと脇を見ると、
まだアイスを手に持っています。

  うわ、まだ食べてんのか!!

  うん、こうやると長持ちするよ!

と、アイスをなめてみせる次男のたっちゃん。

ちょっとだけうらやましい。





Eで遊ぶ

Eで遊ぶ

暑い中たくさん歩いてさっきまで、ばててダラダラしていたというのに、
Eを見つけて、もぐりこんで遊び始める子どもたち。


空をとべるわけ

おこられたとへこんでいたある高校生。

プロのミュージシャンになりたい。

で、音楽の専門学校に行きたい。

とご両親に話したんだそうです。

それで、反対されたとへこんでいます。

当たり前だわ。



だいたい、音楽でどうやって食ってくつもりなんだ?
仕事にするには、ギターの腕だけじゃなくってなあ、
お金にするっていうことが必要なんだよ。
そういうことわかってるのか?

どうしても行きたいんだったら、
自分で何とかしろ。



と言われたとのこと。
彼の甘さをきちんと指摘しています。

まともないいお父さん。

そのぐらいで、へこんでいるようだったら、
まあ先はないなとは思いつつ、
ひとつ無責任な話をしました。



飛行機って、何で飛べるか知ってるか?

前に動くとなにが起こるか?
自転車でスピード出すとどうなる?

空気が顔に身体にあたるよな。
止めようとする力が働くだろ。
動くといろんなものがぶつかってくる。

その前から向かってくる力を、
上向きの力に変えて、
空を飛ぶのが飛行機なんだよ。

君はいずれにせよ、前に進んでいる。
それで、いろいろぶつかってくる。

反対されるってのは、
前に進んでいるから。

ぶつかってくる力をまともに受けて、
ストップするのも、
空を飛ぶために使うのも、
君しだいなんだよーん。



東京の末端

環状7号線
環状7号線



運河を越える橋を渡る。

環状7号線の末端。

埋め立て地に、巨大な倉庫群。
トラックが行き交う物流の拠点。

遮るものがなにもなく、
日差しが直接コンクリートの地面にあたる。

上からも下からも暑さが、身体にぶつかってくる。

運河を眺めながら、渡っていると、
むこうから一人の黒い服を着た女性。

白人で金髪。スーツではなく喪服。

歩幅を稼ぐには不向きな足の動きを制限するスカート。

すねの筋肉に
力が入っているのが見える。

かくかくした歩き方。


橋の向こうには火葬場。

ここは東京の末端。

ヒールが高い靴で歩いて行くには遠い最寄り駅。





266 間違えたらラッキー

ノートに細かい字でびっしり書き込んで、
計算しているある中学生。


  それ答え間違ってるよ。


と伝えると、
消しゴムでノートに書き込んだ計算を
一生懸命消し始めます。





おいおいちょっと待て。
なんでそれ消しちゃうの?


  間違ってるので。


なにが間違ってるのか確認した?


  いや、してません。


おれが嘘ついてたらどうする?


  ・・・


まあ、嘘つかないにせよ、
こっちだって間違えることがあるよ。
消してどうするつもりなの?


  もう一回やります。


それじゃ、せっかく間違えたのに、
もったいない。


  は?


なにをどう間違えたのか、
自分で確認して、わからないままにしていたら、
また同じ間違えしそうだよなあ。

まず、なにを間違えたのか確認しようよ。

それで、なに間違えたのか分かっとけば、
次回からその間違いは防げるよな。
間違ったらそれは直せるチャンスなんだよ。

というわけで、消しゴム禁止な。


  ええ~っ!


計算を消しゴムで消してしまうと、
なにを間違えたのかが分からないまま。

消すのに使う手間と時間も無駄です。

まずは、自分がなにをして、どう間違えたのか、
それを見て、自分で間違えがなんなのか分かれば、
直すことができます。

よくいるのが、自分はできるはずだと
根拠なく思いこんでいる人。

その人は、自分の間違えやミスを受け入れられず、
を見ることができません。

だから、自分がやったことを
消さずにはいられません。

そういう人は、いつまでたっても
同じ間違いを繰り返しがちですねえ。






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基礎からわかる勉強の技術



負かされる日が来るのは、楽しみだ。

いきなり角をとられた。

なんか、新しい手を覚えてきたようだ。
やばい、負ける。

しかし、ここで私が負けて、
彼の向上心を満足させてしまうわけにはいかない。




小学校3年生の息子が久しぶりに将棋しようと、
言ってきた。

前は、わたしが飛車と角をなしにして、
ハンデをつけてやっていた。
いつだったか、それだと私が必ず負けるくらいまで
上達した。

それで、ハンデなしの対等の勝負。
まだ息子は一度も私に勝ったことはないが、
先を読むことを覚え、
相手をひっかけることを覚え、
油断ができない相手になってきている。


昔、わたしが、今の息子くらいの年齢のころ、
将棋をやりかけた。

ある程度、将棋を分かっている人との勝負では、
必ず負ける。

どうやったら、勝てるようになれるのかが、
分からず興味を失った。

将棋はよく分からないまま、三十年たって、
息子がやりたいと言ってくるので、
相手をするようになった。

私の将棋は初心者レベル。

息子にとっては、強いんだろうけど、
勝てる見込みがまったくないわけではない
と感じられるレベル。

息子がいろいろ技を仕入れてきて、
仕掛けてくるので、
自分もなるほどそうするのかと、
学ぶことができる。

しかしまだ、相手の注意の行き届かない部分に
すぐに気がつき、そこを突くことができる。
それで、あまり技を知っているわけではないが、
いまのところ、勝負では勝てる。

まだ、甘い部分が目に付く。

この調子だと、それほど遠くない将来、
わたしが負ける日が来る。

その日が来るのは、楽しみだ。

でも、その楽しみはもう少しあとにとっておきたい。



板橋区は金魚に似ている

土曜日に息子達が通っている小学校の学校公開が
あったので行ってきた。

3年生の社会科で、
地元の区、東京都板橋区についての授業。

こどもたちは、ノートに板橋区の形をかき写し、
板橋区になにがあるのか手を挙げて、発表していく。
東武練馬駅、熱帯植物館などなど。

板橋区は、有名な名物があるわけでも、
区を象徴するような観光地があるわけでもない。




こっちに引っ越してくる前、
子どもを連れて区境を越えて
板橋区にある公園まで遊びにきた。

まわりは住宅地だが、崖っぷちに公園があって、
森のようになっていた。

公園の向かいにある階段を登った先に
お寺があった。
石造りの急な階段。
石はすり減って角は丸くなっており、
作られてからの時間を感じさせる。

ものすごく遠くに来てしまったような感覚におそわれる。
でも、実際に移動した距離はわずか。
ここら一帯は他とは大きく違った感じ。

また別の近く公園、案内の標示。


ここで遺跡が発掘された。
以前ここには宗教施設があったと考えられているが、
詳しいことはわかっていない。


板橋の名前の由来にはいろんな説がある。
ひとつ気に入っているのが、板の端だという説。

板橋は台地の端っこ。
台地の端の向こうの低地には荒川が流れる。
板橋は北と南で低地と台地の二つに分かれる。
その境界線の崖っぷちに、
神社やお寺や、数々の遺跡やらが点在する。

おそらく、遺跡に建物が存在した時代、数千年前、
崖の下は海だったのだろう。

遺跡が使われていた当時の風景を
目の前で想像してみる。

眼下に広がる海。

ここの土地の形態と、
千年以上の積み重ねられてきた時間。

この海を見下ろす時間を超えた光景を、
子どもたちにも見せたいのだが、
そのために何が必要か?

まず全体の地形を把握する必要があるよなあ。





学校が終わって帰ってきた息子が話しかけてきた。

板橋区の形って金魚に似ているね。

その言葉に刺激されて、
板橋区で見た海がよみがえってきた。



265 ボロボロになった辞書・知人から聞いた話

中学校は、数日しか行ってない。
勉強ってものをしてこなかったから、
漢字を知らない。書けない。

このままだらだらしているわけには
いかないと思っていたところで、
見かけたよくいくコンビニでのアルバイト募集の文字。

履歴書は、友人に書いてもらった。

店長らしき人による面接。



  君は、よくダブルクリームエクレア買ってくれてる人だよなあ。


  はい。あれうまいっす。


  ありがとうな。今日からできるか?


  はい。


ダブルクリームエクレアのおかげで、
あれこれ聞かれることもなく、採用。

しかし、すぐに問題が発生。

お客さんから、領収書をくださいと頼まれる。

でも、漢字が書けない。

他の人に書いてもらうように頼むしかなかった。

あいつは漢字も書けないと、
後ろ指を指される気がして、
頼むのがいやだったが、
ムリして笑って、明るくお願いする。

これが、何回かあって、
実際、一緒に働いている人たちの間では、
自分が漢字が書けないということが知れ渡る。

休憩時間、控え室に戻って、
恥ずかしさやら腹立たしさやら、
沸き上がってくる感情を
一人でぐっとこらえていた。

おれは字も書けないのに、
ここにいていいのだろうか?
やっぱりおれにはムリなのか?
やめたほうがいいんじゃないか?

頭の中をかけめぐる、
様々な考え。

ふっと、顔を上げてみると、
テーブルの上に、国語辞典が目に入った。
しかも、小学生向け。

あ、これで漢字を調べられる!

それから、バイトのあとに
漢字の練習をはじめた。

店長は、その様子を見て、
早く帰れとも言わずに、
放っといてくれた。

あるとき、言われたひとこと。

がんばってんね。
あと、意味の分からない言葉も調べて、
意味を分かるようにするんだよ。

それからは、言葉の意味を調べるようになった。

意味が分かると、
文章の意味がわかる。

いままでその存在すら気が付かなかった、
いろんな書類、マニュアル、
仕事をすすめていくのに必要なもの。

漢字が読めて、言葉の意味がわかりはじめたら、
まず、その存在に気がついた。
なんだろうと見てみると、それが読める。
読んで、実際にやってみる。
なんのためにその作業をやっているのか、
店はどのように動いているのか、
お金の流れはどうなっているのかが
分かって、見えるようになる。





ある日、店長に呼ばれて手渡された
つかいまくってボロボロになった辞書。

がんばったな。
これは君にあげるよ。
ここで、やってきたこと、
忘れんなよ。

もう一軒コンビニやろうと思ってんだけど、
君、店長やってみないか?





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264 自分で頭が悪いって言うな

学校では、授業があって、先生が説明して、
出された問題をやって、
とひたすら、与えられ続けます。

生徒の側からなにか発信することは、
受けることと比べたら、ごくわずか。

それで、バランスをとるために、
できることがあります。

生徒さんに、
教えたことが、どのように適用できるのか、
自分のまわりの環境にどのようにあてはまるのか、
例をあげさせる。

そうすることで、現実の生活で、
学んだことを実際に役に立てられるようにもなります。

これができないと、
頭の中は、役に立たないがらくたの固まりに。

しかし、例を挙げるのが、難しい人がいます。

しかめっつらをしながら、
うんうんうなって考えて、
で、しまいには、


  わたし頭悪いんです。
  すぐにでてこないんですよねえ。
  頭悪いから。


同情してほしいんでしょうか?
言い訳している間に、
やってみましょう。

必要なのは、練習です。
練習すればできるようになります。

なにをやるにも練習が必要です。

卵焼きを作るのにも、
自転車に乗るのも、
バスケでシュートを決めるのも、
最初からできる人はいません。
練習してできるようになります。

料理が下手だから、
運動神経が悪いから、
と言い訳していたら、
いつまでたってもできるようにはなりません。

練習が必要です。
とにかくやってみて、
うまくいかなかったら、
うまく行かせる手段はあります。

でも、やらなかったらどこにも行き着きません。







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262 歴史なんて勉強したって

ある中学生に言われました。


  歴史ってどうも好きになれないんです。
  過去を振り返って、どうしようっていうんですか?


さて、どう答えたもんでしょうか?

私も昔、中学生の頃、歴史については
無茶な正当化をしていました。


  誰も見た人はいないのに、
  なんで昔のことが分かるんだ。
  全部嘘かもしれないだろ。


などなど。

とにかく、勉強したくないという
気持ちはよくわかります。

歴史の教科書には、年号と人物名と出来事が
ずらずら書いてあります。

ただそれだけ読んでも、
何が面白いんだかよくわかりません。

テストがあるからと、
興味のない、人物名や年号やできごとをただ暗記するのは、
かなりの努力が必要でしょう。

それで、いくら頑張って覚えても、
覚えた知識を、テスト以外で役に立てることは
できません。

そんなことでは、歴史嫌いになってしまうのも、
無理はありません。

そもそも、歴史ってなんなんでしょうか?


以前、聞いてわたしが興味をもったできごとがあります。


イランとイラクで戦争が続いていました。
イラク上空を通過する飛行機は無条件で撃ち落とすという
表明が1985年にありました

外務省は日本の航空会社に対して、
現地イラクの日本人の救出を要請。
しかし帰路の安全が保証されていない
との理由で航空会社は救援機を派遣しない。

ではどうするか?
困難な状況に陥った現地の日本人。

そんな時に、トルコの航空会社が救援機を派遣。
撃ち落とされる可能性がある危険なフライト。
しかし、トルコは実際に日本人を助けてくれました。

なぜか?

それは、100年前にあった事件にさかのぼります。


その事件について詳しくは
下記のサイトで読めます。

こちら、話の内容も良いのですが、
信じられない方法で描かれた画が見ものです。
http://tana.pekori.to/tear/log/0412.html

国際派日本人養成講座、
エルトゥールル号事件のこと
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_2/jog102.html



このように、語り伝えられている過去のできごと。
どんな状況があって、その中で、
誰が何をしたのか?
それでどうなったのか?

それが歴史において興味深い部分です。

年号やら、人物名は、
そのできごとの流れが把握できて、
興味を持つことができれば、
覚えるのは簡単です。





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262 好きを広げていこう!

隅田川とスカイツリー
隅田川とスカイツリー2






勉強が嫌い!


だれそれが嫌い!


なになにが嫌い!


わざわざ嫌いになる必要はないのに、
わざわざ努力して、その何かを遠ざけようと
一生懸命になっている人がときどきいます。

嫌いだ嫌いだ!!

って、
遠ざけようと努力すればするほど、
それから離れられなくなります。

一生懸命、その嫌いな何かだったり、
誰かだったりに注意を向けて
考え続けてしまうことになりがち。

で、そこからさらに、
嫌いなものが徐々に増えていきます。

興味がないなら
ないだけで、
ほっとけばいいのに。

それよりも、何か好きなもの、
好きな科目、好きな人、
を見つけて、それに注意を向けて関わっていけば、
好きなものが広がっていきます。

何かを好きになるには、
その対象になる「もの」が必要です。

たとえば歴史の勉強、
年号を暗記したりします。

そんなただ暗記するだけの数字に意味がないことは、
本当はよくわかっています。

でも、テスト対策で、無理矢理語呂合わせで
覚えたりしがち。

それで、歴史が苦手になって、
嫌いになってしまったとしたら、
なんのための勉強なのでしょうか?

そんなことで、よっぽど変わった人でない限り
歴史を好きになれるとは思えません。

必要なのは、そのときどんな状況、問題があって、
誰が、なにをしたのか?
その結果どうなったのか?

たとえば、歴史マンガとか歴史ドラマ。
その時代の「もの」、
衣装やら格好やら武器やら家やら
があって、
その中で、誰がなにをしたのか、
で、どうなったのか、
知ることができます。

そこでは、
興味を持てて、好きになれるかもしれない
「もの」を見ることができます。

そして、何かの状況があり、
その中で誰が何をしたのか?
で、どうなったのか、
興味をもって知ることができれば、
それがいつ起こったことなのかは、
自然と頭に入っているかもしれませんね。




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基礎からわかる勉強の技術




春分の日、熱帯植物館から荒川河川敷

休みのたびに行く板橋区立熱帯植物館。熱帯の深海から高山地帯までを再現。海の底から、高山の涼しいところまで登っていきます。中には滝や川、さらにはマングローブが生い茂る海まで再現。子どもたちは、スタンプラリーが大好き。





荒川河川敷に移動。だだっ広いスペースに、遊べるところがあります。人口密度の低さがうれしい。



浮間公園。クジラが釣れるんだって~!と釣り人に言われて真に受ける息子。今は都立公園をいくつか回るスタンプラリーをやってるそうで、台紙をもらいました。それでつぎの休みは城北公園に行かねばなりません。

川沿いに続く土手の上の道。


260 勉強しようと思うけど座っていられない。

よーい、ドン!
よーい、ドン



質問をいただきました。

——————————————

勉強をしようと思っても、座っていられません。

一度座っても、すぐに立ち上がって
別のことをはじめてしまいます。

そういう癖が身についてしまっていて、
勉強に手がつきません。

どうしたらいいのでしょうか?

——————————————


わたしは、若いころ、ビルの窓ふき職人をやっていました。

高層ビルの窓ガラスも洗います。
25階建てのビル、50階建てのビル、などなど
のガラスをゴンドラに乗って、
上から洗っていきます。

下を見ると、歩いている人は点にしか見えません。
風が吹くとゴンドラは揺れます。

洗わなければならないガラスは膨大な量あります。

だからゴンドラに乗っている間は、
ひたすらガラスを洗います。
  
で、わたしが高層ビルの窓ふきの話をすると、
聞かれます。


  こわくないんですか?


  こわくないです。


新しくアルバイト君がやってきます。
サーファーだそうで、体力はありそうです。

彼を屋上に連れていきます。

ゴンドラの準備をして、
わたしが先に乗り込みます。

彼は、足がガクガクしています。
見て分かりました。


  おっかないです。


  いいからのれ!


3日目くらいから、
彼は、ふつうに何の苦もなく、ゴンドラに乗り込んで
作業を進められるようになりました。

高いところがこわいという人がいます。

こわがっていたら、作業できません。
仕事になりません。

だから、楽に自然にいられるようになるしかありません。


「勉強の技術」を開発した、L.ロン・ハバード氏の言葉に、
「コンフロント」というのがあります。
ただし、ふつうの英和辞典にあるような定義とは少し違います。

 confront,コンフロント:
  直面すること、楽にそこにいて知覚すること


目隠しして、下を見えないようにしたら、
怖くないかもしれません。

薬を飲んで、神経を麻痺させたり、
気持ちをたかぶらせたりしたら、
怖くないかもしれません。

でも、その状態は、
コンフロントしているとはいえません。


わたしは以前、
「勉強の技術」のトレーニングを徹底的に受けました。

そこで一番最初にやったのが、
文書を前にして、楽に座っていられるようにする
コンフロントするということです。

文書を目の前にして、2時間以上座っていました。


  そんなアホな!?


と当時、少しだけ思いました。

でも今考えると、これは
勉強する上での土台になるものです。

基本中の基本。

もっとも初歩の段階。

机に向かって座っていられる。

これができないと勉強できません。

座っていられないのであれば、
座っていられるように、
訓練するしかありませんね。





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基礎からわかる勉強の技術



ていうか、学校教育は、ひたすら与えられる情報を 受け入れるだけの従順な人を育てることが目的だった。

土手ですべる。




教育において目的が見失われている。

ていうか、学校教育は、ひたすら与えられる情報を
受け入れるだけの従順な人を育てることが目的だった。
と考えると、これまでの学校教育が何だったのか、理解できる。

与えられたカリキュラムがあり、
それに従って必ず答えがある問題を与えられ、
あらかじめ用意されている期待されたことを答えられれば、
優秀だということになる。

ひたすら言われたことだけをする。
正解は1つだけ必ずあるという学校教育。

この仕組は、もう終わりにしてもいいのではないか?

今の時代、上から与えられたことをただこなすだけの人が、
大量に必要か?

逆に、ただ上から与えられたことをこなせるだけの人に、
未来はあるか?

現実の生活や仕事では、様々な膨大な量の要素が絡み合う。
その状況を把握し、どうするのが良いのか判断し、
行動していく。
それがうまくいくときもあるし、うまくいかないこともある。
何が正解なのかは、状況によって変わってくるし、
人によっても変わってくる。

いくつも選択肢が考えられて、様々な要素を考慮に入れた上で、
最善の手を打つ。
うまくいかなかったら、またどうすればいいのか見つけたり考えたりして、
再度実行してみる。

必要なのは、一人一人の人が、
周囲の人たちと協調しつつも、
自分で判断して、その人の責任で新しい仕事を生み出せたり、
改善できたり、続けていけるってことなのでは?


教育において目的が知らされていない。例えば数学について

指だぞ!指!指ぐらいにしとけ!






教育において目的が知らされていない。

どの科目でも言えるが、
例えば数学について。

数字は、何かの量を表す。
何かの量をどこからどのように見て、把握して、扱うのか?
それが数学。

「計算」はあくまでも補助的なテクニック。
テクニックを身につける必要はあるが、
それは、何かの量を把握するという目的を達成するための手段である。

目的を知らないまま、手段だけみにつけても、
何の役にも立たない。

計算がいくらできたところで、
それが何かの量を表したり、把握したり、扱ったり
他の量と比較してみたりといったことを知らなければ、
何の役にも立たない。

二次方程式が、仕事や生活の上で何の役に立つんですか?

っていう質問は、それが、あくまでも単なる計算で、
目的を達成するための補助的な手段であるということを
知らないことからくる。

しかし、学校のカリキュラムにおいて、
数学の目的を教えられることはない。

ひたすら、目的を知らされないまま、
補助的なテクニックを身につけさせられることになる。
それじゃあ、面白くないし楽しくなりようがない。

数学の目的は、論理的とか数学的思考力を身につけるとか、
よく聞くが、その何とか的思考力がいったい何なのか、
明確に定義付けされることもない。

何かの量を把握して扱う。

これを目的にすることで、
使って役立たせられる実用的な数学のカリキュラムができるのではないか?




学校の勉強は役に立たない?

ザリガニ釣りにはまだ時期が早すぎたザリガニ釣りには早すぎた




それは、その通りなのでしょう。
学校の勉強は生活の役に立たない。
でも、やらなくてはいけないことになっている。

役に立たないからやらなくていい。
ということにはならない。

学校の勉強ができて、テストで良い点数をとれて、
学校の成績がよかったとしても、
それだけでは、生きていくことはできない。

学校の勉強ができて、成績が良かったとしても、
社会の中で仕事ができるという保証にはならない。

それは、その通りですね。

じゃあ、どうしたらいいのでしょうか?

学校の勉強は役に立たないと考えている限り、
それは役に立つものにはなりません。

その知識を経験を日常生活に、仕事に、趣味に、遊びにどう役に立てるのか?

それを考えてみてはいかがでしょうか?





英語は日本語ではない 4 実践編 

英語上達は特に目的ではなかった。
しかし、2ヶ月のフロリダ滞在で、
周囲に日本人はわずかで、
どうしたって意志を伝える必要があり、
英語を使うしかない。

で、最初のうちは、自分が話すと

はあ!??

という顔をされていたが、
英語は主語+動詞だ!
を意識した。
あと、質問だったら語尾上げとけば質問だと通じる
と分かった。

気がついたら、
あんたの英語上達したねえ
と言われるようになる。

なんとかなるもんだ。
机に向かって英語を勉強するのと、
実際のコミュニケーションの場でその瞬間瞬間に
相手の考えを理解し、こちらの考えを伝えるのに
英語を使う行為は、かなり距離があることを感じた。

あと、rの発音、意識して思いっきりやらないと通じない。

「word」 は「ワード」

と日本語のひらがなの発音で言ってしまいがちだったが、
それだと全く通じない。
?という顔をされる。
日本語にはない「r」の発音の重要性に気づかされた。

日本語と英語は違う。



英語リーディング教本―基本からわかる

259 勉強は才能というよりやり方



  毎日、3時間勉強してるんだけど、
  成績があがりません。

  才能がないんでしょうか?


中学生で、毎日3時間も勉強ができる事自体、
十分才能のような気がします。

そんなに努力して、成績が上がらないとしたら、
才能がないとか、頭がよくないのではとか、
思ってしまうこともあるかもしれません。

ただ、この場合、明らかなのは、
やり方が間違っているということです。

よく見かけるのは、ひたすら覚えるのが勉強だと
思って、何から何まで暗記しようとすること。

それでは、学年が進むに連れて、
覚えなければならないことがどんどん増えていき、
どこかでパンクしてしまいます。

もちろん、英単語やら、元素記号やら、
覚える必要のあることはたくさんあるように見えるかもしれません。
でも、それも、何のために必要なのか理解した上で、
で、実際のものを見て対応させたり、
他の関連事項との関わりを踏まえれば、
ムリな丸暗記ではなく、
より興味をもって自然に覚えることができるでしょう。


例えば、この元素図鑑

世界で一番美しい元素図鑑


元素の実物を美しい写真で紹介しています。
見ていると引きこまれます。

マニアックな著者の解説も面白いので、
ムリに覚えようとしなくても、
自然に頭に入ってしまいます。

「ニオブ」という元素素材でできたロケットエンジンの部品を
手に入れたそうなんですが、
FBIがやってきて押収されてしまったんだそうです。

こんなエピソードを読んだら、
「ニオブ」っていつの間にか頭に入ってしまいませんか?



親子で楽しむ学び方 LEARNING HOW TO LEARN

258 勉強しなきゃと思うのですが、はじめると寝てしまいます。

質問をいただきました。


  現在、資格試験の勉強をしています。

  仕事を終えてから、机に向かうのですが、
  勉強を始めると、すぐに居眠りをしてしまいます。

  「やらなければ」っていう気持ちはあるのですが、
  毎日のようにそのような状態になってしまって
  困っています。

  このような状況に陥らない良い方法はありますか?
  宜しくお願いします。


勉強しようとすると眠くなる。

やる気はあるのだけど、
眠気が襲ってきてどうにもならない。

わたしも昔々はしばらくそういう状態でした。

なんとかしようと思い
コーヒーをがぶ飲みしたり、
外に散歩にでかけて目を覚まします。

再度机に向かいますが、
すぐに眠気が襲ってきます。

  気合いが足りないんだ!

と思ってはちまきを締めてみたり、
真冬に水風呂に入ってみたり。

そのときは目が覚めます。

でも、机に向かって参考書を開くともうダメ。

眠気はどうにもなりませんでした。

それで、自分は頭が悪い。
だから頭を使う仕事はできない
  
と勝手に思いこんで、
その後何年もビルの窓ふきをやっていました。


その状態を変えられたのは、
「勉強の技術」を知ってから。

勉強していく上でぶつかる3つの壁、
その中でも、「誤解語」が一番大きな壁になること、
そしてその対処法を知りました。

ほんとかよと思う部分もあったのですが、
試してみました。

当時、パソコンは今ほど一般的なものではありませんでした。

マニュアルはあります。
でも分厚くてたくさんの用語がでてきます。

読もうとするのですが、やはり眠くなります。

わたしはごく初心者向けのパソコン用語集を手に入れました。

そして、眠気をこらえて、マニュアルの中に出てくる
パソコン用語をひとつづつ調べて理解していったのです。

最初は眠気でつらかったです。

でも、理解できた用語の数が増えていくにつれ、
スピードは加速度がついて上がっていきます。      

用語を一通り調べて理解した後に、
マニュアルを読んでみると、簡単に理解できるのです。

こうして、パソコンが使えるようになりました。

あ、できるかも。
という感覚をつかんだ私は
それからは、調子に乗って他のことでも、
同じやり方で、勉強を進めていけるようになったのでした。



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