企業内で英語が公用語化されるとかいった、現代の風潮には、反抗的な気分でいた。
英語なんか誰が勉強してやるか!
とどこかで思っていた。
学生時代に英語で苦労して、無理に暗記しようとするのだけど、できなくて、でその結果、試験で点数がとれない。理解できず苦痛な状態でいて、試験で結果がでないので、さらに勉強しろ。という圧力が強まる。ただ単に書いてあることを理解するのではなく、ただ単に暗記することを強いられる。頭の中は、英単語や熟語のまとまりでいっぱいだが、それを組み合わせて、文章を作ることはできない。
文を読んで、知っている単語を適当に組み合わせて無理矢理、日本語の文にする。で苦労して苦痛をこらえながら、その作業をするが、その答えは間違っていると否定される。ふんだりけったり。で、なにが間違っているかもわからないまま、ますます混乱していく。
努力して、頭の中にあれこれがらくたを詰め込むが、努力はむくわれず、頭は働かなくなり、勉強がさらに苦痛になりもうやってられない。というのが学生時代。
勉強の技術を知り、まずは、単語と文法を理解する必要があると知った。
→ 基礎からわかる勉強の技術
で、英語の根本的な組立て方があり、それはわずかな数のルールから成り立っていて、で、すべての英文はそのルールに基づいていることを知った。5文型。高校生の文法の参考書を見直すと、たいてい最初にでてくる項目。
それで、頭の中の大量のがらくたが、それぞれつながりを持ち始め、整理されていった。
それで、仕事など、必要に迫られた部分で、勉強はしたが、でもまあ、せいぜい中学生レベル。
苦痛だった気持ちはまだ残っていて、ふとした瞬間に、よみがえってくる。それが、誰が勉強してやるかと、反抗的な気分のもとになっていた。
英語の勉強を、今から本格的にはじめる理由も動機付けもなかった。