昔挫折した「細雪」読んだ。

学生時代に挫折したことのひとつ。
それでずいぶん長い間、
やろうと思っていて実現できなかったこと。
長編小説「細雪」の読破。

毎日忙しい中、娯楽に時間を費やしている場合じゃねえ。
というわけで、長い間保留にしていた。

しかし、今回飛行機で十数時間の旅。
これまで飛行機で寝られた試しがないし、
なにか仕事するってったって集中できる環境じゃないし、
これはいい機会だと、細雪の電子書籍板を購入して、
ipadで読めるようにして持っていった。

電子書籍だと、白黒反転させて、
黒地に白い字で表示できるのがいい。
ipad自体の機能設定で色相を反転させて黒地に白い字を実現。
それだと、暗い中でも目が疲れずに読める。

なぜ、「細雪」か?

確か国語の教科書にのっていた「春琴抄」。
学生だった当時うわーこれものすげえ変態だ。
こんなん教科書にのせていいのかこれ?
とドキドキしながら読んだ。
それから、谷崎の小説を一通り読んだ。
大正時代の作品が、好きだった。
もう、とことんまで頭おかしいだろという世界が言葉で作られていた。

で、「細雪」に挑戦した。

読めなかった。
意味が分からなかった。
ちょっとだけ読んで挫折した。
今まで読んだ谷崎の作品と全然違う。

それから長いこと忘れていた。
小説を読むなんていう娯楽に時間を費やすことも、忘れていた。
本自体読めなくなってしまっていた。

その後、理解していない単語を辞書を使って調べる。
という習慣を身につけてから、
再び本が読めるようになり、
以前読みかけた本をもう一度読んで見たいと思っていた。

「細雪」もその一つ。

今回時間ができたので機上で読み終えることができた。
中途になっていたことを完了できたのはうれしい。

そこにあるひとつひとつの言葉を
理解する必要があるのはもちろんのこと、
その関西のその階級の文化、習慣、
そういうものがある。というその存在を知らなかったら、
理解できなくて当然だった。

子供だった自分が挫折したのはまあしょうがない
と今となっては思える。

で、ここまで密度濃く膨大な量の言葉で
関西の上流階級の文化、生活を緻密に丁寧に描いておきながら、
なななんなんだこのおちというか結末は、

へ?

怒りを通り越して笑った。


やっぱり頭おかしい。
でその頭おかしさを理解するために、
結構な教養が必要ってのが、またまたよい。

戦時下の言論統制で自由に物が書けない中、
不謹慎と言われてしまうような内容にはまったく見えない形で、
実はその裏にかなりの「不謹慎さ」が表現されている。

私にとって頭おかしいとは最大級のほめ言葉。






さよならペンギン

さよならペンギン



三男へのクリスマスプレゼントにした。

この無茶苦茶さ、意味のなさ加減が調度よい。

何年か前にプレゼントした

がたごとがたごと 



おばけでんしゃ



に続き、意味とか論理にとらわれてない絵とストーリー。

教訓めいてなく、
ほどよく理屈にとらわれない絵本は、
何度読んでもあきない。

繰り返しに耐えられる。

がたごとがたごと、
おばけでんしゃは、

プレゼントしてから3年たつが、
いまだに、

よんでー

と持ってくる。

この世の表面的な理屈が全てじゃないってこと、
どんなことだって想像できるし、
していいってこと、伝わってるかな。